Country gentleman(カントリージェントルマン)とは


Tiffany&co(ティファニー)やアメリカのヴィンテージスプーンなどから、世界に一つの指輪を作るブランドとして、カントリージェントルマンを立ち上げて約2年が経とうとしています。

多くの方にオーダーをいただき、リングやブレスレットなど数多くの作品をお買い求めいただくなど、とてもありがたいことになんとか制作を続けられています。

今回はなぜブランド名をカントリージェントルマンとすることになったのかを、少しお話しさせていただきたいと思います。

そもそもカントリージェントルマンなる言葉があると知ったのは、憧れる人物だった白州次郎さんに関する本からでした。

白洲次郎さんとの出会い

出典:http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20050908

白州次郎さんといえば、「日本で始めてジーパンを履いた人」ということで知っている人もいるかもしれません。しかし実際にはこの日本にとってとても重要な仕事を成し遂げた偉人の一人です。

まずは簡単にですが彼の経歴をまとめていきたいと思います。 

1902年2月17日実業家で富裕であった父の次男として生まれ、イギリスのケンブリッジに留学。流暢な英語と、国際的な広い視野を育み、父の会社が倒産したために帰国。

そこで生涯の伴侶となる樺山正子と出会い、結婚する。

その後新聞会社などで勤めたのち徐々に日本の政治に携わるようになる。のちに敗戦国となる日本を連合国軍の暴挙から守り抜くべく、苦楽を共にしていく吉田茂とはこの時に出会っている。

第二次世界大戦が始まる際には、その先見の明により東京は焼け野原になると予見、鶴川村(現在の東京都町田市)の古民家を買い取り改築しながら食料の生産に精を出した。

(ちなみにこの古民家が武蔵国と相模国の間にあったため、自分の性格も絡めた『武相荘(無愛想)』と名付けた。)

(そんなユーモアがあふれるところも、自分が惹かれる要因の一つだった。)

第二次世界大戦後、日本は連合国軍に占領されることになる。

そこで白州次郎は吉田茂に頼みこまれ、GHQとの折衝を行う終戦連絡中央事務局で参与に就任することになる。白州はここで英国仕込みの流暢な英語と、類まれな視野をもとに八面六臂の活躍を見せ、日本立て直しの一番の功労者となった。しかし自分は表舞台に立つことを良しとせず、その役割はもっぱら吉田茂であった。

(出しゃばらないがやることはやる、というこの姿勢も尊敬するところの一つである。)

その後貿易庁の長官や東北電力の会長など要職を歴任し、日本の近代化に大きく貢献した。

かなり情報は端折りましたが、だいたいはこんなところであっているかと思います。(間違っていたらゴメンなさい)

彼はとにかく爽やかな男だったそうです。

自分の目上のものにはとにかく厳しく、目下と思われる人にはとにかく優しく接した。プリンシプル(物事の原理・原則。今で言えば物事の筋)を重んじ、それにそぐわない場合にはどんな立場の人間でも厳しく批判し、これを正した。

またいくら重要な役職に就こうとも、自分が果たすべき役目を終えたと見るやあっさりとその職を辞し、田舎へ帰っていくというのが常であったそうです。

白洲次郎さんに関する本を何冊か読み、彼のような格好のいい男になりたい、と素直に思いました。

そして勝手ではありますが、田舎に定住しながらも少し離れたその場所で都会の動きをじっと見つめ、自分の役目ができたと見ればさっと駆けて行き問題を解決する。

つまりは最前線から目をそらさず、全体を俯瞰する冷静さを失わずに来るべき時が来れば臆することなく、自分の全力を尽くす。そんなスタンスで生きていきたいと、思うようになっていきました。

そんな生き方をCountry gentleman(カントリージェントルマン)と呼ぶことを知り、自分のブランドのコンセプトとし、またその生き方の実現を自分の人生の目標としていこうと思ったというわけです。

「消費するだけ」の人間から「何かを生み出す」人間へ

都会のイメージ

10年ほど、都会(東京)に住んでいたことがあります。

その