ヴィンテージという切り口から、新しいヴィンテージアクセサリーを生み出していく中で、また新しいひとつの興味深い歴史を見つけ出しました。
タイトルにある通り、今回はフラワーサック・フィードサックに関する知られざる歴史についてお伝えしたいと思いますが、
注意点として、ここでいうフラワーとは”花(Flower)”ではなく、”小麦粉(Flour)”のフラワーを指します。
つまりはただの”小麦袋”についての、しかし奥深い歴史のお話です。
http://birdsofoh.blogspot.com/2009_12_01_archive.html
それでは早速、知られざる”小麦粉袋”のストーリーを探る旅へとご案内させていただきます。
花柄の美しい小麦粉袋
これは古きよきアメリカでのお話です。
現代において、小麦粉袋はほとんどがビニール袋に詰められて売られていますが、実はその昔袋の素材には布や綿が使われていました。
※初期の頃には木製の樽で運搬されてもいたようです。
小麦粉袋に布を使い始めたのは1800年代半ばとされ、これはしっかりした布を織れるミシンが開発されたことから始まったとされています。
特に物を大事にしていた農家の妻たちは、この小麦袋をタオルにしたりとリメイクして使用していました。しかしその流れはこの時点では主流とまではなりませんでした。
大きな契機となったのは、1914年から始まった第一次世界大戦でした。激しい戦いの中でアメリカ国内は非常に疲弊していき、働き手は減少し、経済的にもダメージを受けていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6#/media/File:WWImontage.jpg
戦争のために様々な物資が戦場に投入されていったため、国内では服のためにこの小麦粉袋を衣類にリメイクするという文化が広がっていきました。
ちなみに小麦粉袋を衣類にリメイクされることを意識し、模様を付けて売り出されたのが”Gingham Girl Flour”という小麦粉であるとされます。これは1925年ごろのお話でした。
さらに、1929年には世界恐慌が起こり、多くのアメリカ国民が貧困にあえぐ事となってしまいます。一般家庭では、そのせいで着る服も満足にないという状況に陥ってしまったのです。
これによってより多くの人が”小麦粉袋(フラワーサック)”からドレスや下着、子供服などをリメイクするという大きな流れが生まれていきました。
https://www.pinterest.jp/zsuzsa57/history/?lp=true
これに目をつけたいくつもの小麦粉の会社が、ドレスを作るのに適した様々な模様(テキスタイル)を小麦粉袋にプリントし、売り上げの増加を図りました。
https://kindnessblog.com/2015/05/06/flower-sack-dresses-from-the-flour-mills-historical-kindness/?utm_medium=google
これが当時の女性たちにヒットし、小麦粉を買ううえでのポイントの一つとして袋の模様が重要視されたほどでした。
小麦粉袋のファッション性の高まり
(こちらは1959年ごろに小麦粉袋をリメイクして作られた、美しいドレスです。フィードサックドレスコンテストへの出品のために作りあげられた傑作です。)
その後も小麦粉会社は、衣服用の生地として小麦粉袋を進化させていきます。具体的にそれは「水に溶けるインク・ラベルの採用」と「テキスタイルデザイナーの採用」でした。
生地として使う際に、小麦粉としてのラベルや製造会社の名前を袋に印刷してしまっては、女性たちがドレスを作れないという問題がありました。その問題を解決したのが、水に溶けるインクと、水で剥がせるラベルだったのです。
”このラベルは水に浸せば取り除けます”
小麦粉をすべて使い終わった後で袋を水で洗い流すことで、インクは水に溶け美しい模様だけが残ります。これによって、女性たちは気兼ねなく小麦粉袋をリメイクすることが可能になりました。
さらに小麦粉会社は、当時の女性たちが好むような模様をデザインすることができるよう、テキスタイルデザイナーを採用し、デザイン面の向上に努めました。
https://kindnessblog.com/2015/05/06/flower-sack-dresses-from-the-flour-mills-historical-kindness/?utm_medium=google
これらの企業努力により、小麦粉袋は更なる人気を博し一時300〜350万人もの人々が、小麦粉袋から作られた衣服を着ていたとされるほどでした。
しかし1939年には第二次世界大戦が勃発。戦地に赴く兵士たちの装備品に、小麦粉袋の原料であった綿が大量に使用されたことや、
さらには紙の品質が向上し、コストの面でも低価格であったことから徐々に綿でできた小麦粉袋は減少の一途をたどり、1950年代以降は小麦粉袋は紙で作られることがほとんどとなり、
綿製の小麦粉袋をリメイクするという文化は徐々に廃れていくこととなったのでした。
現代によみがえるフラワーサック
現在でもアメリカンな雰囲気を好む人たちに根強い人気なのが、フラワーサックタオルと呼ばれる、綿でできたタオルです。
あまり知られてはいませんが、このフラワーサックこそ生活に苦しむ人々の知恵と希望が詰まった文化の一つだったのです。
当ブランド、カントリージェントルマンはそんなすばらしい文化を現代に復活させるべく、ヴィンテージのフラワーサックを探し出し、現在アメリカから取り寄せています。
(追記:2020年11月19日現在手元に届き、ある作品の制作を進めています)
このフラワーサックから、特別なVintage Boro Flour sack Neckerchiefを制作し、そう遠くないうちにご紹介するつもりでおります。
ヴィンテージアクセサリーの良さは、その素材や物が過ごしてきた”歴史”を身に着けることだと考えています。
ヴィンテージフラワーサックをヴィンテージアクセサリーへとリメイクすること、それは当時素材や費用も限られる中で、少しでもファッションを楽しもうとしていた人々の希望や遊び心を復活させることだとも思っています。
ヴィンテージアクセサリーを愛する方々へ、今までになかったアイテムをご紹介できることを楽しみにしております。
追記:ヴィンテージボロネッカチーフのご紹介(2021年6月17日)
この記事を書いてから、かなりの期間が経過してはしまいましたが、ようやくこのフラワーサックの歴史に敬意を評した新たな作品をご紹介できる運びとなりました。
その作品の名前は、「ヴィンテージボロネッカチーフ」となります。まずはPVをご覧ください。
フラワーサックはもちろん、ヴィンテージバンダナ、日本(会津地方)の古布店から掘り出した明治ごろの襤褸(ボロ)布を組み合わせ、これまでにないヴィンテージネックウェアを作り出しました。
このように、アメリカ・日本のヴィンテージテキスタイルが、時を超えて一つの作品へと生まれ変わりました。
Tシャツに合わせるもよし、デニムシャツの襟元に付属のヴィンテージフォークワグルで留めても良しの、万能なネックウェアとなっております。
巻いた際に余計なボリュームが出るのを防ぐために、形は三角形としました。これはネッカチーフの歴史の中で非常に重要な位置を占める、ボーイスカウトの歴史を踏襲してデザインされたものです。
さらに、日本(特に東北地方)でボロ布の強度を上げるために使われていた技術”刺し子”をワンポイントとしてそこかしこに配置。
より味わい深い作品となりました。
これまでにない新しい×ヴィンテージのネッカチーフを、ぜひこの機会にお試しいただければと思います。
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