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古代のシルバーアクセサリー・ジュエリーの製作方法とは

現代の私たちが身につけているアクセサリー・ジュエリーには様々な種類があります。

様々なアクセサリー・ジュエリー

Gary Todd from Xinzheng, China, CC0, via Wikimedia Commons


以下簡単に例を挙げただけでも、

  • ネックレス

  • リング

  • ピアス

  • ペンダント

  • イヤリング

  • ブレスレット

  • バングル

など、貴金属や貴石とを組み合わせながら、これまで人類が製作してきた装飾品は夥しい数になることと思います。


古くは数千年も前から、当時の職人の手によって丁寧に作られた芸術品のような装飾品の数々は、今でも世界各地の博物館で多くの人たちの目を楽しませてくれます。


と、ここである疑問が頭をもたげてきます。


それは

「現代のような高度な技術や道具が存在していなかった数千年前の職人たちは、どのようにしてアクセサリー・ジュエリーを製作していたのか」

という疑問です。


今回は単なるアクセサリー・ジュエリーに関する歴史をご紹介するのではなく、それらがどのようにして”作られていたのか”を一緒にお考えをいただければと思います。


※今回記事を執筆するにあたり様々な情報源にあたってまいりましたが、多くの点において推測にてお伝えすることをお許しください。

 

銀の加工の歴史


アクセサリーの歴史を紐解いていくと、古代エジプトに行き着くことが多々あります。

多くのアクセサリーの起源、古代エジプト

有名な言葉として

”Gold was considered to be the skin of the ancient Egyptian gods, but their bones were thought to be of silver."というものがあります。


これを和訳するとすれば

「古代エジプトの神々の皮膚は金だが、その骨は銀である」

となります。


銀の歴史は古く、紀元前4千年ごろのメソポタミアで使用が確認されており、古代エジプトでは銀は金よりも産出量が少なかったとされ、その多くは他国から輸入されていました。

(事実古王国時代の貴重品リストの上では、金よりも銀の方が上位に記載されていたそうです)


ふとここで気づいたことがあります。


それは、銀はどのようにして”銀”として精製されていたのかということです。

古代のシルバーインゴット

BabelStone, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons


※こちらは4世紀〜5世紀ごろのローマ時代の斧の形をした銀のインゴットです。これらは兵士たちへの支払いとして用いられることが多かったとされます。


さてここからは、古代の人々の圧倒的な化学技術に驚いていただければと思います。


 

灰吹法


灰吹法(CUPELLATION)とは、簡単に言えば

「古代に開発された貴金属の精製方法」

のことを指します。


その歴史は古く、精製方法としての灰吹法は初期青銅器時代(紀元前3000年ごろ)にメソポタミア、アナトリアにて生み出されたとされ、そこから各地に広がっていったとされています。


日本にこの灰吹法が伝わったのは戦国時代にあった1533年でした。


具体的な灰吹法として、はじめに貴金属(銀や金)と鉛の合金を作り、それを灰を敷いた多孔質の容器の上で熱することにより、純度の高い金や銀が精製されるというものです。


(ちなみに灰吹法:Cupellationの語源は、多孔質の容器の名前がcupelという名前だったことに由来します。)


※精製方法については私の専門分野ではないため、参考動画として以下をご覧いただければと思います。


また、鉛の溶ける温度が328℃、銀は962℃、金は1064℃であるため、非常に高温で作業をする必要がありましたが、


それまで口頭で伝えられることが多かった金属の採掘、精錬、精製の方法についてが書かれた非常に貴重な書物De re metallica(Georg Bauer,1556)の中には、


高温で作業をするための灰吹炉のイラストが描かれています。

ジュエリー制作に必要不可欠な銀の精製法

現代化学としてはそこまで難しい技術ではないのかもしれませんが、今から数千年前の祖先たちがどのようにしてこの精製方法を生み出したのかを考えると、とても不思議な気持ちになります。


参考:

 

はんだ付けの謎


銀製品におけるはんだ付け(ロウづけ)とは、簡単に言えば「銀ロウと呼ばれる素材を2つの銀の間におき高温に熱する事でその2つの素材を接着すること」を指します。


例えばピアスで言えば基本的に2つの部品から作られています。


つまりは飾りの部分+耳に刺す部分の2つです。


その間に銀ロウと呼ばれる、銀本体よりも融点が低い素材をおいて熱することで、2つの部品を一つに固定します。

シルバーのロウづけ

Mauro Cateb, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons


※こちらははんだ付けの過程を示した画像です。熱を加えることで、立てられた枠と台座の間の丸い粒のようなロウが溶け出し、2つの部品の間に流れ込むことで固定されます。


この作業をする際、現代においては高性能なバーナーなどを用いて一気に熱することがほとんどですが、そのような器具のなかった古代の人々は、どのようにしてこのはんだ付けを実現していたのでしょうか。


この点に関して、残念ながら具体的な書籍が見つからなかったため、あくまで参考までになりますが


1971年(52年前)に制作された銀製品ブランドのドキュメンタリービデオの中に、ヒントが見つかりました。

この動画の25:28秒ごろから、火元に細いパイプを持って座る職人が確認できます。


彼は自分の吹く息によって、火力を増大させてはんだ付けを行っていますが、もしかすると古代の人々も同様の方法にて、はんだ付けを行っていたのかもしれません。


※それとは別にしても、動画の中で紹介される手作業の数々には非常に心惹かれるものがあります。

 

深淵なる彫金の歴史


銀という素材一つをとっても、調査にこれほどの時間がかかるとは考えておりませんでしたが、


私たちが当たり前に手に取り、身に着けているアクセサリー・ジュエリーは、ここまでご紹介してきたような特殊な精製方法や製法によって、徐々に進化してきたことがわかります。


本当はエジプトの金メッキの製法や石留めの技術などについてもお伝えできればと思っておりましたが、今回はこの辺りでお許しをいただければと思います。


また、私は職人ではなく愛好家であるため、正確ではない情報が含まれる可能性がございます。


もしお気づきの先達の皆様がいらっしゃいましたら、ぜひお気軽にご連絡をいただけますと幸いです。


この度も最後までお付き合いいただきました皆様におかれましては、深く感謝を申し上げたいと思います。


Country Gentleman



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