最近では、記事の冒頭にほぼ必ず「忙しい」という単語を打ち込んでしまっている事実を、我ながらなんとも言えない思いで見つめております。
ご無沙汰しております、Country Gentlemanです。
当ブログを定期的にご覧いただいている皆様には、いつも同じ言い訳ばかりしてしまっておりますことを、この場を借りて深くお詫び申し上げます。
さて、せっかく久々の投稿となりますので、お聞き苦しい話題はこれまでとさせていただきます。
今回ご紹介させていただく”知られざる歴史”は、以前ご紹介させていただいた「ラブトークン」という魅力あふれるアイテムについてです。
この謎多き、かつ魅惑的なアイテムについて、より深掘りした歴史と物語を皆様へお届けできればと考えております。
ラブトークンは正確にはヴィンテージアクセサリーではないのですが、アクセサリーとして用いられることが多いアイテムである点、
さらにはシグネットリングにも通じる「モノグラム」が施されていることが多いアイテムとして、今回は「”S”の謎ともう一つの物語」と題しまして、重厚なその物語を紐解いていきたいと考えております。
それでは、早速始めてまいりたいと思います。
※当方は貨幣学を学んでおらず、先達の皆様におかれましてはお聞き苦しい点や、不明瞭あるいは不正確な記載がある可能性がございます。もしそのような記述がございましたら、ぜひご一報いただけますと幸いです。
矮小な知識のみを有する一人の人間として、しかしながら日々少しでも精進していければと心がけております。ぜひご指導ご鞭撻のほどお願い致します。
コインと愛の深い関係性
世界最古のコインとしては、現代のトルコあたりに存在したとされるリディアという国で発見された、紀元前7世紀ごろのライオンのコインが広く知られています。
Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
ちなみにこちらの材質はエレクトラムと呼ばれ、これは金と銀の自然発生合金を指します。
さて、コインやトークンというと、古くは「物々交換の煩雑さを解消するために発明された、経済活動の基盤となる円盤型の金属」をイメージされる事と思います。
しかし、実はコインやトークンは単にそれだけを意図して作られたものばかりではありませんでした。
例えば202年のローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(通称:カラカラ)と、フルビア・プラウティラの結婚に際し、発行されたコインがありました。
The Portable Antiquities Scheme/ The Trustees of the British Museum, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
※マルクス・アウレリウス・アントニヌスといえば、ローマ五賢帝時代の哲人皇帝をイメージされた方も少なくないかと思われますが、調べてみますと実はこのカラカラと哲人皇帝とは全くの別人でした。
出生名を調べますと、哲人皇帝=マルクス・アンニウス・カティリウス・セウェルス、カラカラ=ルキウス・セプティミウス・バッシアヌスであり、さらに言えば前者は名君、後者は暴君として知られています。
さて、話を戻しますと、このコインに書かれている言葉は「CONCORDIAE AETERNAE」であり、これは「永遠の和合」を示しており、転じて夫婦の愛・深い関係という意味合いを込めて作られました。
※史実的には、カラカラは妻となったプラウティラのことを嫌っていたというお話もありますが。
その後もコイン(トークン)と愛の関係性は深く絡み合いながら続いていきますが、当方は貨幣の専門家ではないため、
詳しくは貨幣と愛(結婚)の関係性について書かれた圧倒的名著、“La numismatique du mariage(結婚の貨幣学)” (Henri Terisse 2006年)著などにて、ご確認をいただけますと幸いです。
お恥ずかしながら私はフランス語が全く話せないため、上記書籍を読むことは叶わないのですが、
書籍内ではラブトークンの起源の一つとも言われる、treizain(トレイザイン)について、記載があるそうです。
Romainbehar, CC0, via Wikimedia Commons
treizain(トレイザイン)とは、中世フランスで始まった文化の一つであり、結婚式中に婚約者から花嫁に贈られる13枚のコインのセットを指します。
おそらく14世紀以降に始まったとされるtreizain(トレイザイン)という文化を構成する要素は以下のとおりです。
・結婚式の最中に花婿は花嫁に13枚の金貨か銀貨、あるいはトークンを渡す
・13枚のコインは祝福を受けた上で渡される
・コインは箱あるいは袋の中に入れられている
・13枚という数字は、イエスキリストとその12使徒を合わせた数から来ているとされる
・コインは必要に応じて使用されるため、現代では13枚揃った状態で見つけることが困難とされる
このように、コイン(トークン)は愛を示すため、記録に残すために、時代を超えてその深い関係性を保ち続けてきました。
その後も航海に出る船乗りが恋人に送るトークンや、囚人が恋人や家族に送ったトークン、さらには戦争の最中自らのIDとしてコインに名前や所属、離れた場所に住む愛する人への言葉を刻んだトークンなど、
国や環境は異なりながらも、その文化は脈々と受け継がれてきました。
この辺りの詳しいお話は、当ブログの別記事:ラブトークンの知られざる歴史でもおまとめしておりますので、お時間の許す方におかれましては、ぜひご覧いただけますと幸いです。
参考:
ラブトークンと”S”の謎
The Portable Antiquities Scheme/ The Trustees of the British Museum, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
さて、コインの起源からラブトークンまでの歴史を非常にざっくりとではありますが、振り返ってまいりました。
ここからは国をイギリスに移しまして、お話を続けてまいります。
イギリスではウィリアム3世の治世中(1689年 – 1702年3月8日)に、ある不思議な文化が流行します。
それはウィリアム3世の頃の6ペンス硬貨(1551–1816まで材質は銀)の表、裏面をやすりなどで滑らかに削り、さらにその両端を反対にそれぞれ折り曲げ、愛する人へ手渡すというものでした。
私がこの文化を知ったのは、ラブトークンの歴史を調べる中でいくつもの(膨大な)折り曲げられたコインを発見したことからでした。(少なくとも数十点)
Derby Museums Trust, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
The Portable Antiquities Scheme, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
実はこれらのラブトークンは、金属探知機を使って貴金属を発見する人々によって、地中から発掘されることも少なくないそうです。
さてここでいくつかの謎が、私の頭の中に湧き上がってきました。
なぜ多くのラブトークンがウィリアム3世の頃の6ペンスだったのか
なぜ両端を折り曲げていたのか
なぜ両面を滑らかに削り取っていたのか
この謎について調べを進めていると、コアなコイン収集家たちの中でも明確な答えは出されていないようで、さまざまな意見が乱立していました。
具体的な意見としては
ウィリアム3世は純粋なイギリス人ではなかったため、民衆から不人気であったためその顔が削りとられた
Sは恋人(Sweetheart)の頭文字を表していた
財布にラブトークンが入れらていても、折り曲がっていることで間違って使用されることを防いだ
などがありました。
特に最初の意見については、このコインはラブトークンではなく、ウィリアム3世に対する反抗心の現れであったという驚きの説でもあるのですが、
少なからずイギリスにおいて6ペンスは幸運のコインとして文化の中に深く根付いており、
一例として、戦争の際には服にこのコインを布で縫い付けておいたり、ケーキの中に入れてそれを食べた人には幸運が訪れるという娯楽の一つとしても使われるなどしており、
私は少なくともラブトークンとしては存在していたと考えています。
いずれとしても、この滑らかに削られ、折り曲げられたラブトークンの”S”にまつわる謎は、現在でも未解決のままのようです。
参考:
ラブトークン、もう一つの物語
ここからは、ラブトークンにまつわるもう一つの物語をご紹介してまいりますが、その前に少し横道へ。
皆様はイギリスの船長であり、また慈善家でもあったという、少し特殊な経歴を持つ人物トーマス・コーラム(Thomas Coram 1668 – 1751)をご存知でしょうか。
船長を父に持っていたとされる彼は、わずか11歳の頃に海に送られました。そのため彼はきちんとして教育を受けることなく育ったとされます。
船乗りとしての彼は非常に優秀であり、スペイン継承戦争時には船長の称号を得て仕事をするなどしながら、
慈愛の心を持っていた彼は折に触れさまざまな慈善行為を行います。
トーントンの土地をイングランド国教会の設立される際に校舎として使用するために寄付した
セントトーマス教会の図書館を作るために数冊の本を寄付した
そんな彼が仕事でロンドンに立ち寄った際、彼は路上で驚くべきものを目にします。
それは、路上で死にかけている何人もの幼児の姿でした。
この出来事に衝撃を受けた彼は、遺棄の危険にさらされた赤ん坊の命を守り育てるために、孤児院の設立を決心します。
彼はこの日からなんと17年間もの間、孤児院の設立のために奔走することになります。
彼の地道ながらも情熱溢れる働きかけにより、1735年に最初の嘆願書が提出された際には、貴族出身の著名な女性21名もの署名が集まり、次第にその運動に賛同する人々も増えていきました。
そしてとうとう1739年には、彼が心の底からの念願としていた孤児院が設立されました。
See page for author, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons
「徳は孤ならず、必ず隣有り」(論語里仁篇)とは、中国の哲人孔子の言葉ですが、
これは「徳のある人(素晴らしい人)は孤独になることはない。なぜならいつかどこかで理解し、共鳴してくれる人が現れるからだ」という意味になります。
彼、トーマス・コーラムの元にも、そんな”隣”が現れることになります。
孤児院はその後、大変人気のある慈善団体となり、当時の上流階級や芸術界など、多くの著名人から支援を受けることになりました。
特に音楽と芸術においては、さまざまな支援を受けました。
そんな中で現れたのが肖像画家・漫画家として名を馳せていたウィリアム・ホガース(William Hogarth 1697-1764)でした。
(ちなみに先程のトーマス・コーラムの肖像画は、このホガースによって描かれたものです。)
彼は、美術の面だけでなくさまざまな活動を行いました。
子供のいなかった彼は、妻のジェーンと共に孤児の里子を育てた
新しい建物で常設の美術展を開いた
他の芸術家に、孤児院のために作品を作ることを奨励した
結果としてホガースは、孤児院をロンドンで最もファッショナブルな慈善団体として知らしめることに成功し、芸術鑑賞と寄付をするための訪問者は絶えなかったとされています。
そんな彼の素晴らしい活動は、イギリス初の公立アートギャラリーの先駆けとしても知られています。
その後、この孤児院は数回の移転を余儀なくされながらも、養子縁組制度や里親制度などが整備された1950年代に業務を停止するまで、
約2世紀という途方もない期間に多くの子供達を救い、その数はなんと25,000人以上にものぼるとされています。
人の足を引っ張り合い、求めてもいない非難や罵倒を浴びせ、自らは後方で安穏と過ごしながら最前線の人々を平気で嘲笑する。
そんな人間の非常に醜い部分が、SNSという人の手には過ぎた技術によって炙り出され、増幅されるようになった現代において、
誰になんと言われようとも、自らが正しいと信じる行動を力強く実行していった彼らの、気高さの極みと呼べる行動。そして黄金のような美しき精神に、心が震えました。
参考:
親と子を結ぶ、悲しみのラブトークン
凄まじい勢いで話の脇道に迷い込んでしまうのは、もはやお家芸のように私自身感じておりますが、
ようやくここから、ラブトークンのもう一つの物語についてお話しさせていただきます。
孤児院では1741年3月25日に、最初の子供達を引き取りました。
※ウィリアム・ホガースがデザインした孤児院の紋章
親が子供を預ける際、「やっぱり子供たちを取り戻したい」と思った場合に子供を引き取ることができるよう、
親が子供を特定するための目印として使われた”モノ”こそが、何を隠そうラブトークンでした。
なお当時はトークンだけでなく、特定の書き込みがなされた紙やリボン、布やトランプなども使用されていました。
ある母親は、金銭的な事情からやむなく子供を孤児院に預けました。
しかしその後なんとか金銭的事情を解決し、やはり子供を迎えにいきたいと考えます。
彼女は子供を預ける際、自分のイニシャルと子供のイニシャルを両端に一つずつ刻んだトークンを半分に割り、
、半分を子供に、もう半分を自分で持っていました。
彼女は孤児院に出向き、事情を説明します。そして手に握り締めた片方のトークンを見せるのでした。
それを手にした孤児院の人間は、厳重に保管されていたもう一つのトークンを持ち出し、慎重にそれらを重ね合わせます。
断ち切られたトークンが寸分の違いもなくピタリと合わさり、母親から聞いたイニシャルの並びに間違いがないことを確認し、初めて愛する我が子を取り戻すことができました。
これはあくまでも仮の話ですが、おおよそこのような流れで子供が親の元へ返されたとされます。
※実際のところ、預けられた子供が再度親に引き取られるケースはごく少数だったようです。
さて、その肝心のラブトークンはどんなものなのでしょうか。
この場では直接その画像を掲載することはせず、以下のサイトをご紹介させていただきます。
<Foundling Museum>
このサイトは博物館「ファウンドリングミュージアム」のものです。
Daderot, CC0, via Wikimedia Commons
実はこの博物館、トーマス・コーラムが苦心の末ようやく作り出した孤児院が最初にあった場所に、この孤児院の歴史を伝えるために建てられた博物館なのです。
※ちなみにこの博物館の周囲7エーカー(28,000平方メートル)は、コーラムズ・フィールズと名付けられ、子供達が遊べるよう公園や庭、サッカー場などが整備されています。
すぐ近くにはハリー・ポッターで一躍有名となったあの駅「キングス・クロス駅 (Kings Cross Station)」があります。9と4分の3番線もすぐそば、ということですね。
サイトの中では、このラブトークン(正確にはファンドリングトークン=孤児トークン)にまつわる、専門家ならではの調査結果や、胸が締め付けられるような実話が、確かな証拠とともに掲載されています。
ぜひ一度ご覧いただければ幸いです。
<Foundling Museum>
住所:40 Brunswick Square LondonWC1N 1AZ
これまで、男性から女性、女性から男性への愛の印としてしか認識していなかったラブトークンですが、
その歴史は非常に複雑であり、今回のように親から子への愛の印としてのラブトークンがあったことは、私もつい最近まで知りませんでした。
「彼ら、彼女らが、愛する子供を幼くして孤児院に預ける際の気持ちはどれほどのものであったのだろう」と考えると、胸がググっと締めつけられるような切なく苦しい感覚を覚えますが、
こういった悲しい歴史の中で、親と子の絆を結ぶトークンが存在していたという事実は、これからも忘れずにいたいと思っております。
そしてトーマス・コーラムや、ウィリアム・ホガースのような高みにまでは到達できないとしても、例えそれがほんの僅かな変化しか生み出せないとしても、
自分なりの慈愛に満ちた行動で、この世界を少しでもより良い方向へ向かわせることができるなら。
そんな自分なりの”プラス”の行動に思いを馳せつつ、筆を置きたいと思います。
Country Gentleman
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