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ハックシルバーとヴァイキングの知られざる歴史

私事や生業の方面にて多忙となり、なかなか更新ができず歯痒い思いをしております。

Country Gentlemanでございます。


今回は、日本ではまだあまり知られていないシルバーにまつわる、非常に興味深い歴史をお伝えさせて頂きます。


それが、ハックシルバーと呼ばれるものです。


これまで本サイトにてご紹介してきた豪華絢爛、美しい芸術的なシルバーとは異なり、荒々しい歴史をその背景に持つハックシルバーの魅力的な歴史を、今回はご紹介してまいりたいと思います。


※前提として、私は歴史学者でもなければ、本記事も全てが厳格な著書を元に執筆されたものではありません。詳細をお調べになられたい方におかれましては、ぜひ先達の論分や著書に触れてご確認をいただければと思います

 

ハックシルバーとは

10世紀ごろのハックシルバー

British Museum , CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons


※画像のハックシルバーは905年ごろのものと見られ、1840年に発掘され現在は英国博物館に所蔵されています。


ハックシルバーとは、その名の通りハック(Hack):叩き斬られた、切り刻まれたシルバーのことを指します。


その多くは銀食器や銀のアクセサリーなどを細かく刻み、畳んで持ちやすくされていることがほとんどでした。

(そのまま身につけておいたり、溶かしてインゴットという銀塊にすることもありました)


銀食器やアクセサリーといえば高価かつ一定の価値を保有している貴金属であるため、一見すると「勿体無いことをするなあ」と思ってしまいそうなものですが、これにはある理由がありました。


実はこのハックシルバーは、”通貨”としての役割を持った、貴重品だったのです。

 

ハックシルバーの歴史

溶かされてインゴッドにされたシルバー

Christer Åhlin, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons


歴史を遡ると、おそらく3世紀後半ごろのローマ帝国からこのハックシルバーが使用されていた形跡があるとされています。


当時隆盛を極めた偉大なるローマ帝国は、安定して平和な治世となった五賢帝時代の後に、徐々に分裂・滅亡への道を辿ることとなります。


※いつもの癖ですが、少しだけ寄り道をお許しください。このローマ五賢帝時代最後の皇帝として即位したのが、

哲人皇帝”とも呼ばれるマルクス・アウレリウス・アントニヌスと呼ばれる皇帝です。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス

User:MatthiasKabel, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons


彼は皇帝でありながら、何よりも哲学者になりたいと願い続けた非常に賢い皇帝でした。


彼はその治世の間に、自らを戒め、励ます日記のようなものを書き続け、それらは1冊の本へとまとめられて世に送り出されました。


それが「自省録」と呼ばれる本です。


この自省録の内容・言葉はとにかく力強く、現代に生きる我々を励ましてくれるような名著なのですが、


特に「The universe is change; our life is what our thoughts make it.」これを和訳すると

宇宙は変化する、人生は私たちの考えでできている(人生は主観である)」という言葉は、


今でも私の心の奥深くに刻まれている印象深い言葉です。このブログをご覧いただく皆さまにも、

是非ともお薦めしたいと思います。



さて、話を戻します。


395年にローマ帝国は東ローマと西ローマに分割され、それぞれ統治されるようになりますが、特に西ローマはゲルマン人の激しい侵攻に悩まされていました。

4世紀のローマ帝国分裂の図

このような背景の中、これまで敵国から奪ったり、交易をして獲得していた銀はその貴重さを増すことになっていきます。


つまりは国が保有する銀の量が減っていくため、通貨として「今ある銀を活用(再利用)する」という考えに移行していくことになります。


ここからは推測ですが、

まず現代において金の価格は非常に高騰しています。

これは世界的な情勢が不安定となったため、貨幣・紙幣より信頼性の高い金の価値が高まるために起きます。


ローマ分割後にも同様の状況があった場合、当時発行されていた通貨はその価値が下落してしまい、その代わりに銀や金のような”モノ”の価値は継続して高いままに保たれていたため、


このようなハックシルバーという一種の文化が生み出されたものと思われます。


また、通貨は同一国内であればなんら使用に問題はありませんが、国が変われば価値は変わるため他国に対する交易のためには銀など一定の価値を持つものが重要となります。


そのため西ローマでは、これらハックシルバーを敵国や友好国へ贈り物や賄賂として手渡すことで、なんとか国を存続させようとしていたのではないかと思います。


細かく切り刻まれているのは、ほぼ同じ重さで異なる価値を持つ貨幣や紙幣のような通貨とは異なり、重さでその価値を判断されていたため、


相手に渡すべき価値のその重さに合わせて、毎回細かく切り刻まれていたためと思われます。


このように考えると、ハックシルバーは古代のリサイクル文化の一つとも言えるのではないでしょうか。

 

ハックシルバーとヴァイキングの関係性


さて、このようにハックシルバーはある種「間に合わせ」のような形で誕生したことがわかります。


つまりは治世が安定するか、交易が正常化さえすれば元の通貨経済に戻り、ハックシルバー自体も徐々に消滅していってもおかしくないと考えられます。


しかし、歴史はそうでなかったことを示しています。


ここからは、ハックシルバーとヴァイキングの関係性について紐解いていきたいと思います。

 

ヴァイキングとは

ヴァイキングの主な航路

en:User:Bogdangiusca, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons


8世紀末頃から11世紀中頃まで、スカンディナヴィア、バルト海沿岸地域で恐れられた武装集団がいました。


それがヴァイキングと呼ばれる人々でした。


皆さんもどこかで以下の画像のような人々の姿を見たことがあることと思います。(右下の人物)

攻め入るヴァイキング

John Clarke Ridpath, Public domain, via Wikimedia Commons


大きな角飾り、毛皮を着て海を渡り、略奪を繰り返す野蛮な人々というイメージを持たれる方も多いかと思われますが、実際のところはそのような人ばかりでもなく、交易民として生活をしていたことも分かってきています。


彼らが精力的に活動をしていた当時、スカンジナビア半島では通貨経済に関する知識を有していた人はほとんどいなかったとされています。


しかし交易をする上ではモノとモノとを交換する必要があります。


ここでまた登場するのが、ハックシルバーでした。

ヴァイキングのハックシルバー

Wolfmann, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons


(ちなみに金もハックゴールドのような形で使用されたとも言われますが、一般的に使用されていたのは銀であったとされます。)


彼らはこのハックシルバーを重さで量り、その重さと同じ価値を持つ何かと交換することで経済を回していました。


その後バイキング達は訪れた地でそれぞれが定住するなどして徐々にその数が減り、13世紀ごろまでにはほとんどいなくなってしまっていたと言われています。


彼らはその地で独自の通貨を発行することもあり、このような歴史の流れの中で、ハックシルバーも徐々に忘れ去られていくこととなります。


※ちなみに当時コインの製法としては「金型に溶かした銀を流し込む製法」と、「金属の型の上に銀を置きハンマーで叩いて模様をつける製法」の主に2種類があったとされ、


スカンジナビア地域においては後者がほとんどであったそうです。

 

蘇るハックシルバー


激しい時代の流れの中で、徐々に人々の意識から消えていったハックシルバーですが、意外な形で現代に蘇ることになります。

スカイル湾

1858 年 3 月、スコットランドのオークニーの西海岸にあるスカイル湾で、デビッド リンクレイター(David Linklater)という名の少年が、ウサギを追いかけていました。


彼はウサギを巣穴に追い込み、穴を掘っていたところ彼は足元に数枚の銀貨を見つけます。


これに驚いた彼は多くの人を引き連れて発掘作業に入り、結果として15 ポンド(約6.8kg)の銀塊・銀製品を見つけ出すことに成功します。


その中にはブローチやネックレス、ブレスレットの他、多くのインゴットと銀の破片(ハックシルバー)が含まれており、スコットランドにおける最大のヴァイキングの宝物庫として知られるようになります。


最終的にこれらは法律上王室の所有物となりますが、この発見は当時大きな驚きと共に報じられました。

 

未知の歴史を求めて


これまで独自の視点で様々なヴィンテージ・アンティークにまつわる歴史をご紹介してまいりましたが、


今回また新たなシルバーの歴史をお伝えすることができ、嬉しく思っております。


2016年にブランドを始めてから、少しではありますがヴィンテージ素材に関して詳しくなってきたのではないか、という自負はあったものの、


今回のように自分が全く知らなかった歴史に触れるたび、「まだまだだ」と戒められているような気持ちになります。


しかしそれと同時に、「自分の知らない広い世界があるのだ」という事実にワクワクする気持ちも感じています。


これからも、皆様に味わい深い歴史をお伝えできるよう、精進してまいりたいと思います。


Country Gentleman



参考:










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