皆様こんにちは、Country Gentlemanです。
今回は、ドライブインシアターの知られざる歴史について、様々な切り口からご紹介させていただければと思っております。
そもそも当ブランドはヴィンテージアクセサリーを中心に制作・販売を行っており、ドライブインシアターとは縁もゆかりもないと言ってしまえばそれまでなのですが、、
今回は完全なる私の自己満足(かつ趣味)のために、以前から憧れてやまないこの”ドライブインシアター”という一つの素晴らしい文化について、詳しくお伝えできればと思っております。
ドライブインシアターの起源
※画像は1949年当時のドライブインシアターの広告(ポスター)
ドライブインシアターの歴史を紐解くと、1915年4月23日のグアダルーペ劇場に行きつきます。
ちなみにこの時初めてドライブインシアターで上映された映画は、シドニーエインスワース主演の映画”A Bag Of Gold”という白黒かつ無声映画でした。
ニューメキシコ州ラスクルーセスにあったこの劇場は、経営状況が芳しくなく翌1916年7月には閉館となってしまいます。
その後も1921年にはテキサス州コマンチでドライブインシアターがオープンしましたが、これもあくまで実験的な試みとなり、ドライブインシアターが本格的に根付くことはありませんでした。
1915年に初めてのドライブインシアターがオープンしてから17年の時を経て、本格的にドライブインシアターの歴史の扉を開いたのが、
リチャード・ホリングスヘッド(Richard Milton Hollingshead, Jr. 1900年2月25日-1975年5月13日)でした。
彼はWhiz Auto Products(父親の自動車部品会社)という会社で、ゼネラルセールスマネージャーの役職を得て働いていました。
1915年、1921年にはすでにドライブインシアターがオープンしていたことから、彼もそれを踏襲したシステムを使用したかと思いきや、
突然のひらめきがきっかけとなり、彼は新しいドライブインシアターの構想を思いつきます。
一説では、彼の母親が”映画館(一般的な屋内型の映画館)の席に座っていると、居心地が悪いと感じている”ことに気づき、
それならば「屋外の開けた場所で自分の車の中から映画が見られれば、落ち着いて映画が楽しめるのではないか」と考え、早速彼は行動を開始しました。
※ちなみにこの年代の一般的な屋内の映画館の座席は木製で作られていることが多く、
その席の幅も小さかったことから、同じように感じていた人は少なくなかったであろうことが想像がつきます。
まず彼はニュージャージー州カムデンにあった自宅の私道(裏庭とも言われています)にあった、2本の木の間にシートを釘で打ち付けてスクリーンを作りました。
そのスクリーンの前に、車のボンネットに1928年製のコダックのムービープロジェクターを置いた(設置した)車を駐車しました。
※参考までに、1936年に撮影されたフォードV8
最後にスクリーンの裏側にラジオ(スピーカー)をセットすることで、現代にまでつながるドライブインシアターの原型が完成したのでした。
プロトタイプが完成してからも、彼は様々な試行錯誤を重ねました。具体的には以下のような試作を繰り返していたとされています。
・スプリンクラーを用いて、雨の日の視認性や音響の違いを確かめた。
・自分の車の前に他の車があると視界が遮られてしまうことに気づき、車の前方にスロープを設置することで視界の確保に努めた。(車の前部を物理的に上げた)
・車のウインドウを上げ下げし、どの程度音が聞こえるかを確認した。
これらの試行錯誤を行い、実際にビジネスとして成り立つと考えたリチャードは、このドライブインシアターのシステムの特許を取ることに決めました。
彼は1932年8月6日に特許を申請し、その後1933年5月16日認められました。
(この間、彼は従兄弟らと共にPark-In Theaters Inc.なる会社も設立し、準備を整えていました。)
ドライブインシアターへの熱狂
1933年5月16日に特許が認められたと同時に、彼は早速ドライブインシアターの建設に取り掛かりました。この工事は3週間ほどで完了し、
とうとう1933年6月6日に、記念すべきオープンの日を迎えることとなります。
※こちらの写真が、記念すべきドライブインシアターオープンの日の画像です。
駐車可能な台数は400台、シアターのスクリーンは12×15メートル、1.8メートル×1.8メートルの大型スピーカーが3台も設置された、
充実した設備を持つこのドライブインシアターは、結果的に多くの観客を呼び込むことに成功しました。
この時掲げられたスローガンは、"The whole family is welcome, regardless of how noisy the children are."。
つまり「お子様がどれだけ騒ごうと関係なく、全てのご家族を歓迎いたします」という、それまでの映画館の常識を打ち破るものでした。
ちなみにこの時上映された映画はアドルフマンジュー主演の”Wives Beware”という映画であり、
入場の際に観客は車1台に対して25セント、一人当たり25セントを支払う必要があり、最大で1ドル支払うこととなりました。
※左側の男性がアドルフ・マンジュー
ここから彼の会社Park-In Theaters Inc.の大躍進が始まる、かと思いきや華々しいオープニングを飾ったこのドライブインシアターはわずか3年でその幕を閉じることになります。
その主な理由として「映画のレンタル料が高額であったため」と、「音声・環境の不便さ」が挙げられます。
映画館は映画会社から映画をレンタルして放映していましたが、ドライブインシアターでの放映には屋内の映画館の貸出し料の約15〜20倍ほどの高額でしかレンタルさせてもらえず、収益的に厳しい状況に追い込まれました。
また、夜に明かりをつけて映画を見るため虫が車内に入ったり、スクリーンから遠い席の人はその距離のせいで映像と音にズレが生じたり、
スクリーンに近い人には音がうるさく、遠い人には小さいと言った様々な問題がありました。
そしてこの他にも、彼はドライブインシアターという画期的なシステムに目をつけた模倣者たちとの法廷での争いに巻き込まれ、
最終的に1950年になんと特許の無効が言い渡されることになりました。
しかし皮肉にもここから、ドライブインシアターは本格的に人気の娯楽の一つとして人々に受け入れられていくことになります。
ドライブインシアターのサウンドシステム
さて、ここで少し脇道に逸れ(いつものことですが)、ドライブインシアターのサウンドシステムについて少しお話しさせていただきたく思います。
というのも私は人が全く興味を持たないであろう「それ何?」というものに対して魅力を感じるきらいがあり、
正直に申し上げまして、この部分については読み飛ばしていただいても構いません。(もちろんお読みいただければ幸いですが)
1933年にオープンした当初のドライブインシアターのサウンドシステムは、
先述したとおりスクリーン裏に大型のスピーカーを設置し、そこから音声を流すという方式がとられていました。
しかし「スクリーンとの距離が近い人にとっては大音量だが、遠い人にとっては小さくなる」という問題や、
「スクリーンから遠い人は画面と音声に若干ズレが生じてしまう」「あまりの大音量に近隣の住民から批判されていた」などの問題が山積しており、不満を持つ人が多く存在していました。
※画像は1967年当時のドライブインシアターの全貌
この問題に対してドライブインシアターでは、車の駐車スペースごとに個別のスピーカーを用意したり、
小型のスピーカーを各々の車の窓から車内に引き入れることで、ズレがなく快適な音声で映画を楽しめるようにしました。
※その部分について詳しくまとめられた動画がございましたので、以下にてご紹介させていただきます。
14:52あたりから、スピーカーに関する情報がまとめられています。
動画を見ると、車の下の地面にスピーカーを埋め込むなど、本当に涙ぐましい試行錯誤が行われていたことがわかります。
結果的にこれらの努力が身を結び、1950年台の最盛期を迎えることになるわけですが、私がとても気になるのが、この有線型のスピーカーです。
1941年にRCA社がボリュームのつまみを備えたこの有線型のスピーカーを実用化し、多くのドライブインシアターで採用されることになったのですが、
(動画のスピーカーがRCA社のものであるかどうかは不明です)
この無骨さ、そして現代の音響技術の観点からは考えられないほどの厳つい大きさを誇るこのスピーカーは、
当然ながら現代においては修理しないと使用できないものがほとんどです。
しかも、修理をしたとしても使い道に困るほど実用性はないに等しいのは自分でも重々わかっていながらも、
この大きなスピーカーから聞こえてくる音声に耳を傾けながら、多くの人たちが楽しい時を過ごしていたのだろうとイメージを膨らませられる、
とても素敵なアイテムであると私は考えています。
今すぐ欲しい!という類のものではないのですが、折に触れて思い出し、いつかは手に入れてみたいと思わされてしまうアイテムが、このスピーカーなのです。
ドライブインシアターの最盛期。そして衰退
ここから話を戻します。
第二次世界大戦以前のドライブインシアターの数は、15ほどだったと記録されていますが、
1941年には個別の車載スピーカーが開発され、虫や音の遅延、音のボリュームの問題が解決されたり、
1950年には特許が無効と言い渡された為に参入がしやすくなったなどの様々な要因が重なり、
ドライブインシアターは全米でどんどん数を増やしていきました。最盛期と呼ばれる1950年台後半になると、その数は4,000を超え、アメリカ以外のヨーロッパなどでもオープンしていきました。
※画像は1971年当時のドライブインシアターのポスター
この頃になるとドライブインシアターはアミューズメント色が強くなり、映画に出演した俳優を呼んだり、上映前にコンサートのようなものを催していたシアターもあったそうです。
しかし楽しい時間は長くは続かないもので、以下の要因によってドライブインシアターは徐々に消え去っていくことになります。
・カラーテレビ、ビデオデッキの普及により家でエンターテイメントを楽しめるようになってきた
・屋内型の映画館とは異なり、暗くならないと上映ができない為収益率が悪かった
・トランクに潜んだりフェンスを乗り越えていわゆる「タダ見」客が増えてきた
・地価が上昇してきたことにより、経営が厳しくなってきた
現在では200~300程度のドライブインシアターが上映を続けるのみで、この素晴らしい文化は衰退の一途を辿っています。
受け継がれるドライブインシアターの素晴らしい文化
※画像はペンシルベニア州のドライブインシアター。後ろ向きに駐車してトランクを開けて、トランクルームに座って見るという人も多いことがわかる。
皮肉なことに、新型コロナの影響により一般的な屋内型の映画館では観客の数を減らしての上映を余儀なくされるなど、厳しい状況が続いていますが、
ドライブインシアターであれば密室を避けて映画が楽しめるということから、近年にわかに脚光を浴び始めています。
NETFLIXやAmazon prime videoなどのサブスクリプション型の動画ストリーミング配信サービスが主流となっている今だからこそ、
ドライブインシアターのスタイルは逆に真新しく写るのかもしれません。
クリック一つで好きな映画が見られる現代において、ガソリンを使って車を走らせ、チケットを買い指定の場所へ駐車をし、ポップコーンとソーダを買って上映の時を待つ。
一見すると非効率的なこのスタイルだからこそ、家族との楽しい時間が共有できたり、より映画を深く楽しめるという利点もあるのかもしれないと感じます。
実はこのようにご紹介をしておきながら、まだ私は一度もこのドライブインシアターを利用したことはないのですが、
何故か当時実際に使われたヴィンテージのチケットだけはしっかり入手していたりと、とても憧れの場所の一つでもあります。
(実際のヴィンテージチケットの写真をアップさせていただければ、とも思ったのですが、最近では荷物があまりに多く見失っておりましたため、見つかり次第共有させていただければと思っております。)
いつかこの事態が収まったときには、アメリカのドライブインシアターを訪れることが私の夢の一つでもあります。
皆様は、この事態が収まったらどこへ行かれたいのでしょうか。好きなときに好きな場所へ旅に出れる。そんな日が1日でも早く来ることを願いながら、この記事を締め括りたいと思います。
Country Gentleman
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