前回の記事から、かなり期間が空いておりました。Country Gentlemanでございます。
今、世界中の方々が想像もつかないほどの強大な敵と、日夜戦っています。最前線で戦っていらっしゃる皆さまには心からの賛辞と感謝の意を表しつつ、可能な限りの注意と忍耐とを自らに課す日々が続いております。
しかし正直に申し上げてしまえば、今日私たちがいくら努力し手を尽くそうとも、この状況がいきなり明日一変するわけではありません。
それでもまずは自己を律して耐えること。そして少しずつその円が広がっていくことで、世界が少しでもより良い方向へと進んでいくことを願いながら、今この記事を書いております。
私にできることはごく限られてはおりますが、日々にお疲れの皆さまに少しだけでも楽しんでいただければと思い、今回はメンズのピアス・イヤリングの歴史について、いつものように様々な視点からお話しさせていただきます。
このとても小さなアクセサリーに隠された、味わい深い歴史をお楽しみいただければ幸いです。
メンズピアスの歴史の始まりとは
歴史を紐解けば、男性がピアスを身に付けていた最古の記録は5300年以上前のオーストリアの氷河から見つかったミイラ(通称:アイスマン)の耳に、ピアスの形跡が見つかっていたことに始まるとされています。
その後、古代エジプトなどでは時の権力者たちが自らの富と権力を示すため、高級な宝石でできたピアスやイヤリングなどを身に付けていたとされています。(アッシリアの粘土板、古代エジプトのパピルスなどでそれについての言及があります)
さらに時を重ねると、ピアスやイヤリングは奴隷制の象徴として受け止められるようにもなります。
その後中世のヨーロッパなどでは、富裕な商人、貴族などの間で、ピアスやイヤリングがまた人気を集めることになりました。
具体的には金のイヤリングや、真珠やカットガラスなどの半貴石がデザインされたものが多くありました。
このように、ピアスやイヤリングは時とともに様々な意味合いを持つようになっていきました。
イヤリングは不良の象徴?
その昔、カトリック教会では男性がイヤリングを着けることは禁じられていたそうです。
具体的な理由としては、男性がイヤリングをつけることは宗教的な男性のイメージを損なうためだとも、
神から与えられた体を自ら傷つける行為が認められなかったからとも言われており、
その宗派によっても様々な考え方が存在し、度々それが対立することもあったそうです。
海賊=イヤリングを着けるものというイメージ
全世界で大ヒットした映画、「カリブの海賊(pirates of the caribbean)」では、主人公であるジャック・スパロウがきらびやかな宝石が付いた指輪をしているのとともに、
彼をはじめとする多くの海賊たちがイヤリングをしていることを確認することができます。
では一体なぜ、海賊たちはイヤリングを身に付けるようになったのでしょうか。それにはもちろん理由があります。
海賊たちはその名の通り海に生きる男たちでした。そのため乗っている船がいつ難破・沈没するか分からないという危険に常にさらされていました。
彼らが身に付けていたのは基本的に金のイヤリング(お金がない場合には銀の場合も)でしたが、もし彼らの船が難破・沈没し、彼らが死体として浜に打ち上げられた時に、
適切な葬儀を行ってもらうための葬儀代の代わりとして、常にこれらのイヤリングを身に付けていたのでした。
もちろん海賊ですから、彼らの遺体他の海賊にが見つかった際にはイヤリングを盗まれることもあったことは想像に難くありませんが、「死体からイヤリングを盗んではいけない(なぜなら自分もそうされてしまうから)」という、
暗黙のルールが彼らの中にも存在していたようで、イヤリングを葬儀代とした適切な葬儀は少なからず行われていたようです。
右耳のピアスはゲイの証?
はじめにお伝えしておきますが、私はLGBTQの方々に対して一切の悪い感情を持ち合わせておらず、むしろ様々な価値観を心から歓迎し、全てのカルチャーに対して尊敬と愛情を持っています。
人種や性的指向、男性や女性、宗教や国家間の問題などで、苦しむ人や悩む人がこの世からいなくなることを心から願っています。
話が少し、逸れてしまいました。失礼致しました。
さてこの章では、「なぜ右耳のピアスはゲイの証と呼ばれていたのか」を、あくまでも客観的な歴史上のお話としてお伝えさせていただきます。(もちろん現代においてはそのような古い考えを持つ人はごく少数ですし、また個人的には、そのような差別的な見方をする人が、この世から一人もいなくなることを願っています)
時は1960年代、第二次世界大戦後の既成社会へのカウンターカルチャーとして、アメリカに新たな文化が登場します。それは、のちにヒッピーと呼ばれるものでした。
そしてそれと同時に、アメリカではゲイたちの文化も花開き、世間の注目を浴びることになります。(1969年のストーンウォール事件に端を発して、彼らの長い戦いが始まりました。)
その中で注目されたファッションの一つが、右耳(あるいは片方)にピアスをつけるというものでした。
一時期アメリカでは”left is right and right is wrong.(ピアスを着けるなら左は正しいが右は間違い)”という言葉が広まるなど、ゲイの人たちを差別するような言葉が生まれました。
現代ではどちらの耳にピアスを着けようがなんだかんだと言われるようなことはほとんどなくなりましたが、
この頃はまだ古く稚拙な価値観に縛られている人が多い時代であり、このような言葉が広まったのではないかと思われます。
なぜ”左は正しく右は違う”となったか
これはあくまで個人的な推測ですが、ある古いストーリーがそのような言葉の元になったのではないかと考えられます。
騎士道の名残の一つに「守るものは左側を歩き、守られるものは右側を歩く」という概念があります。これはその昔男性が剣を挿して歩いていた頃に遡ります。
男性が女性と歩いていて、もし暴漢が襲ってきた場合には男性が剣を抜いて女性を守りますが、女性が左側を歩いていては、その抜いた剣によって女性を傷つけてしまう恐れがあります。
そのため男性は左側を、女性は右側を歩くようになったというわけです。
さらにその後ヨーロッパでは、戦・戦争に出る男性は恋人や妻と一対のピアスを片側ずつ着けるというおまじないのようなものが流行したことがありました。
これは、”きっと無事で帰ってきて、またピアスを揃えられますように”という一種の願掛けのようなものだったそうです。
その際にも男性は左に、女性は右耳にピアスを着けることになっていたそうですが、おそらくこれはそのような歴史を背景に作られたおまじないだったのではないでしょうか。
現代のピアス
現代的な男性のピアス・イヤリングスタイルが流行し始めたのは1980年代ごろからのことで、パンクロック(セックスピストルズ)の影響はもちろんのこと、
ジョージ・マイケルやウィル・スミス、そしてデイヴィッド・ベッカムなどの著名人が着用していた影響など、様々な影響を受けたのちに、現代では男女問わず誰もがファッションとしてピアス・イヤリングを楽しむようになりました。
日本では三代目Jソウルブラザーズなどの著名なミュージシャンをはじめとして、数多のファッションリーダーたちがこぞってピアスやイヤリングを身に付けており、
そういった状況も、日本の男性のピアス・イヤリングの着用数の増加を後押ししていると言えます。
私たちの目の前に置かれた一対の小さなピアス・イヤリングには、その小ささからは想像もつかないほどの、味わい深く、そして広遠な世界が広がっているのです。
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