ファッション業界での新たなトレンドとして、一時圧倒的な勢いを誇った潮流がありました。
それが”大量生産・大量消費”のファストファッションです。
しかし近年では、大手ファストファッションブランドの破産や、日本撤退などのニュースを目にする機会がどんどん増えてきています。
そんな中でふと「受け継がれるものと、朽ちるものの違いはなんなのか」と不思議に思ってしまいました。

その違いは一体なんなのか。どんな物は受け継がれていき、そしてどんな物が朽ちていくのか。
今回は、そんな観点から書かせていただきたいと思います。
時の濾過
昔、何かで読んだ本の中にこんなことが書いてあったように記憶しています。

「本を読むのであれば、現代まで残っている古典がいい。現代まで読み継がれている”孔子の論語”や”ドストエフスキーの罪と罰”のような名著は、時の濾過を経ても今尚そこにある。」
これを、私なりに簡単に解釈してみたいと思います。
ここに一つの本があるとします。
もしこれがくだらない本だったりすれば、それは誰にも読み継がれることなく、50年もすれば誰もそんな本があったことすら思い出さないと思います。
逆にその本がとても素晴らしいものであれば、多くの人の手にそれが渡り、そして記憶にも残り、読み継がれ、50年後でもまだその本は残り続けていると思います。
つまり”時の濾過”とは、どんなにモノがたくさんあったとしても、それは時が過ぎる中でふるいにかけられ、本当に受け継がれるべきもの、価値があるものしか残っていかない、ということを、著者は言いたかったのではないかと思うのです。
ファストファッションの凋落
かくいう私も、ファストファッションに傾倒していた時期がありました。

特にZARAが好きで、手頃な値段で最新のファッションを手に入れることができるため、かなりの金額を使っていました。(今でもたまにウェブサイトを見たりもしています。)
しかし、現在では多くのファストファッションが苦境に立たされています。
これはあくまで私の視点からですが、これこそが”時の濾過”ではないのかと妙に納得している部分があります。
品質の前に、新しさ。価値の前に、価格。
ファストファッションが重視していたのはその2つでした。
はじめのうちは新しい服やアクセサリーが低価格で手に入るため、その新しい潮流に多くの人が虜になりました。
街には巨大なファストファッションの店舗が立ち並び、多くの人が最新の服を買い求めました。
しかし私たちも徐々に気づき始めます。「あの頃は新しかったけど、今では古い」「安いのはわかるけど、ワンシーズン着るともうボロボロになってしまう」