本記事をご覧いただきまして、ありがとうございます。
Country Gentlemanです。
最近ではなかなか時間を取ることができずブログ執筆の頻度が低くなってきており、自分としても非常に歯がゆい思いをしております。
そんな中でも、定期的にご覧いただいております稀有な皆様へ、まずは深く深く御礼を申し上げます。
さて今回取り上げます題材は、通常の「ヴィンテージアクセサリーの歴史について」ではなく、
最近耳にする機会が増えております「サステナビリティ」という言葉をテーマとし、
あくまで私個人の主観からではありますが、ヴィンテージが持つ可能性を絡めまして、少し考えを述べさせていただければと思います。
※注※
本記事は決して特定の方や考え方を攻撃・批判する目的はなく、「本当のサステナビリティ」とは何かを考えることを通して、
「ヴィンテージ」が持つポジティブな可能性を照らし出していければと思っております。
少々固くなりましたが・・・前置きはこのあたりとしまして、早速お話を進めてまいります。
サステナビリティとは
サステナビリティ(Sustainability)を直訳すると、「持続可能性」という意味があることがわかります。
しかし今日この言葉が使用される場合には、主に以下のような意味合いが付与されています。
「環境や社会、人々の健康、経済などあらゆる場面において、将来にわたって機能を失わずに続けていくことができるシステムやプロセス」
簡単に言えば、
「目先の利益を追うのではなく、社会・環境・経済を持続可能な形で発展させるような活動を行うこと」
であると考えることができます。
サステナビリティの歴史
これは私の一つの癖なのですが、何かが目の前に現れた際それ自体ではなくその歴史を学ぶことから始めたがる傾向があります。
そのため、今回もまずは歴史を調べることから始めてみました。
一般的には「サステナビリティ」という言葉が世界的に意識されるようになったのは、
1987年に国連のブルントラント委員会(1984年国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」)の報告書である、"Our Common Future"(『地球の未来を守るために』)にて
「持続可能な開発」の概念が打ち出されたことに端を発していると言われています。
Sigurður Kaiser, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
確かに言葉としてサステナビリティ(Sustainability)が広まったのはこの出来事が大きなきっかけとなったのかもしれませんが、
実はそれ以前から、多くの人が環境問題に対する解決策を求めていました。
すべては、皆さんもご存知の「産業革命」から始まりました。
世界を一変させた産業革命
それでは、時計の針を18世紀半ばに巻き戻していきます。
世界で最初に産業革命が始まったのは、全盛期には全世界の陸地と人口の4分の1を版図に収めた超大国、イギリスでした。
それ以前の農業主義的な社会から工業社会へのドラスティックな移行が、驚くべき速さでこの時期進行していきました。
産業革命以前のエネルギー源といえば、水や風といった自然の力をうまく活用した水車・風車などでしたが、
イギリス、スコットランドのエンジニアであったジェームズ・ワット(1736-1819)が、世界、いや地球の歴史を変えてしまうほどの発明をします。
その発明こそが「蒸気機関」と呼ばれるものでした。
※実は蒸気機関自体は2000年以上前から存在していたとされますが、より効率的かつ実用的な蒸気機関はこの頃誕生しました。ちなみに”馬力”という概念もこのジェームズ・ワットによって考案されたと言われています。
この蒸気機関の誕生を契機として、移動手段は馬車等から機関車や蒸気船に変わり、工場も水力に頼らない立地でどんどん建設ができるようになりました。
また環境面から言えば、蒸気機関が誕生したことにより、エネルギーの面でも大きな変化が起きました。
それが「石炭」の利用増加でした。
蒸気機関を作動させるためには大量のエネルギーが必要となり、その燃料として石炭が広く使われるようになっていったのでした。
1908年にはのちにわれわれの移動手段を一変させることになる自動車の原型となるフォード・モデルTが登場。
Richard from USA, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
その後の2度の世界大戦を経て石油、さらには電力に対する重要性が高まるなど、
つまるところ地球の資源を積極的に消費することによって、多くの国や人々が莫大な富を得ることになり、われわれの生活もどんどん豊かになっていきました。
産業革命の弊害
「光が多いところでは、影も強くなる(There is strong shadow where there is much light.)」
とは、ドイツの詩人・小説家であるヨハン・ヴォルフガング・ゲーテの言葉ですが、
われわれ人間は地球上のエネルギー源を積極的に消費し、その生活はどんどん便利なものへと変化してきました。
しかしそれと同時に、ある問題が私たちの未来を確実に暗いものへと変えてしまいました。
それが環境問題です。
私が思いつく限りではありますが、幾つか例を挙げてみたいと思います。
大気汚染
水質汚染
土壌汚染
森林伐採による生態系の破壊
気候変動
具体例を挙げるとすれば、ロンドンスモッグ(Great Smog of 1952)などが最たるものでしょうか。
1952年12月5日から12月10日の間、イギリスのロンドンは冷たい霧に覆われていました。
N T Stobbs, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
この時期のイギリスは非常に寒く、市民たちは通常よりも多くの石炭を暖房のために使用していました。
同じ頃、ロンドンの交通事情は大きな変換の時期を迎えており、路面電車からディーゼルバスへの大規模な転換が行われていました。
これだけ聞けば、何が問題なのかと疑問符が浮かんできますが、悲劇は着々と進行していました。
暖房器具やディーゼルバスから発生した大気汚染物質が、上空の冷たい層に閉じ込められたことにより濃いスモッグが発生し、それを吸い込んだ市民の多くが気管支炎や心臓病などを発症します。
その症状は非常に深刻であり、結果として12,000人以上もの人が死亡するという人類史上稀に見る大惨事へと繋がってしまったのでした。
この衝撃的な出来事により、大気浄化法の制定など大気汚染問題に対する関心が高まっていくことになります。
さらにここ日本でも酷似した事件(四日市ぜんそく:1960-1972)がありましたが、これがまだ51年ほど前のことであると考えると、環境問題に対する意識の高まりはつい最近のことであるのが分かります。
また、先ほど挙げた幾つかの例はあくまでも環境に関する問題であり、そのほかにも労働条件の悪化や社会的不平等(格差社会)といった問題も表出してきています。
このように人間の生活が便利になればなるほど環境・社会問題が一層進行していることから、
近年になってようやく「将来も持続的に人間が生き続けていけるように環境にも配慮しなくてはいけない」という気運が、政治や社会の中で高まってきています。
弱い持続可能性と強い持続可能性
私は決してサステナビリティにおける専門家でもないため、あくまでさわりの知識しか有しない身分でありながら、
このようなお話をするのもどうかと逡巡したのですが、せっかくの機会ですので少し深掘りをしたいと思います。
本記事を執筆するにあたり、改めてサステナビリティ、つまり持続可能性について調べていたところ、
持続可能性には主に2つの方向性があることを知りました。
それがいわゆる「弱い持続可能性と強い持続可能性」です。
それぞれ簡単にお示し致しますと、
■弱い持続可能性
資源や自然環境を使っても、それを何らかの方法で代替できると考える考え方です。
例えば、森林を伐採しても、新たな植林を行えば、木を使い続けることができるという考えです。
つまり、資源の使い方に制限を設けず、代替手段で環境を守れるという考えになります。
現在の経済とも親和性が高く、多くの企業が行う環境活動にはこちらに分類されるものが多いと考えられます。
■強い持続可能性
自然環境や資源を使う際に、代替手段では完全に代替できないものもあると考える考え方です。
例えば、絶滅の危機にある動植物や環境の一部は、代替できない貴重なものとして守るべきだと考えます。
つまり、資源の使い方に制約を設けて、持続可能な方法で使う必要があると信じる考え方です。
このような2つの方向性が、持続可能性として示されています。
※先述の通り私はサステナビリティなど環境問題における専門家ではないため、誤解や誤りが含まれる可能性もございます。お気づきの先達の皆様におかれましては、ぜひご一報くださいませ。
私自身、自らに足りないものを知り日々精進していきたいと心から願っております。
トレードオフ
本記事のはじめにお示ししました通り、サステナビリティとは
「環境や社会、人々の健康、経済などあらゆる場面において、将来にわたって機能を失わずに続けていくことができることシステムやプロセス」
であるとされています。
この”環境や社会、人々の健康、経済などあらゆる場面において”という言葉が含まれている点が、
サステナビリティの難しさを端的に表しているのではないかと、私は思います。
つまり、これらは基本的にうまくバランスをとる形で進めていくことが求められるわけですが、
極端にどれか一つを優先してしまえば、その他の要素に悪影響を及ぼすことが想定されるのです。
例えば、今日Tシャツ1枚を生産するために必要とされる水だけでも、2,720リットル※1という莫大な量が必要とされていますが、
これに対して仮に全世界で「環境のことを考え、Tシャツ1枚に使用できる水は100リットルに制限するものとする」と規定をされたとします。
これは環境面の保護を最優先にしたものであり、消費する資源に強力な制限をかけることで自然や生態系を最大限壊さず守ることに繋がります。
しかしそれでは商品・サービスの生産量が激減してしまい、経済面や社会面で大きなマイナスが生じます。
これが逆の場合、我々の生活は豊かになる一方で、自然や動植物の生態系を大きく崩壊させることに繋がりかねません。
このように、「一方を立てれば他方がまずくなるといった」状況がトレードオフと呼ばれ、
われわれ人類もいまだに弱い持続可能性か強い持続可能性かの狭間で悩み、もがき苦しんでいるという状況なのです。
※1:参考-WWF handle-with-care(https://www.worldwildlife.org/magazine/issues/spring-2014/articles/handle-with-care)
本当のサステナビリティとは
さて、ここからがいよいよ本記事が述べたい主な意見、考えとなります。
※注※
ここからは、私の主観が多分に含まれます。
あくまで個人的な考えであり、何人をも傷つけたり攻撃する意図などは含まれていないことを、改めてお伝えさせていただきます。
まず私の考えでは、この世界では何かを生産するために何かを破壊するというプロセスが多く用いられています。
例えば牛肉のステーキを食べられるのは、牛の命を奪う=破壊によって生産をすることができているからであり、
自動車での移動もガソリン(軽油・ガス等)という地球の資源を消費=破壊することで初めて実現できます。
最近では衣料品ブランドなどが自社の製品を顧客から回収し、リサイクルした素材で製品を作ったり、環境にやさしい製法・素材を使用して製品を作るなど、
徐々に具体的な活動がなされるようになりました。
このこと自体は大変素晴らしい活動であり、その活動がメインストリームになってくれればと心から願う一方、
厳しい言い方ではありますが「それは根本的な解決にはならない」ことも事実です。
ラベルレスのペットボトルは確かに環境に配慮した製品ではありますが、そもそも水道水を水筒に入れて持ち歩く方が環境に良いことは誰でも知っていますし、
電気自動車よりも自転車や徒歩を活用した方がいいことなどは常識中の常識です。
極端に言えば、究極のエコとは「何も生産しないこと」であると言えるかもしれません。
しかし流石に「それは暴論である」と一笑に付されることと思います。
なぜなら我々人類が文化的な生活を送るためには、どうしても何らかを生産・消費しなければ成り立たないのもまた事実であるからです。
いずれとしても、地球上の人口が増え、消費が増えれば増えるほど活発な生産活動がなされる=何らかの資源が破壊されるという原則は確かに存在しているのです。
生産することは同時に何かを破壊することである。であるならば、生産量を少なくすれば破壊を抑えること自体はできる。
しかしそれで環境が守られても経済が落ち込めば社会的な環境は悪化する可能性がある。
このようなトレードオフの状況において、私は「受け継ぐ」という行動が本当のサステナビリティにつながるのではないかと考えています。
「ヴィンテージ」が持つ可能性
さて、ここで一旦話がガラリと変わりますが、私は「ヴィンテージ」という言葉になぜか心惹かれます。
だからこそ当ブランドでは、ヴィンテージの銀食器を用いたアクセサリーやボロ、IDブレスレットやスウィートハートジュエリーなどをご紹介し、皆さまへご提供してまいりました。
このように少なからずヴィンテージに携わってきた中で、私は「ヴィンテージ」という言葉には大きく2つの隠された要素があるのではないかと感じるようになりました。
それは
あるモノが誕生するに至った歴史・ストーリー
あるモノがヴィンテージになるまで受け継がれるに至った魅力
の、2つの要素となります。
例えば、ネイティブアメリカンの一部族であるサントドミンゴ族は、廃材のプラスチックなどから美しいネックレス「バッテリーバード」なるものを生み出しました。
この「バッテリーバード」が誕生した背景には、深刻な素材不足が挙げられます。
1914年に始まった第一次世界大戦、1929年の世界恐慌により、
ネイティブアメリカンが素材として多用した「シルバー」「質の良いターコイズ」などの素材が不足し、アクセサリーの制作が非常に厳しい時代となっていました。
そんな中で彼らは身近にある廃材(プラスチックや再生ターコイズ、古いレコードなど)をうまく組み合わせ、特別なネックレス「バッテリーバード」を誕生させました。
当時のバッテリーバードは1-2ドルほどで売られていたそうですが、その歴史的背景や独特なデザインから根強いファンを持ち、
現代において状態の良いヴィンテージバッテリーバードはゆうに10万円を超えるほどの高値が付けられています。
このような歴史・ストーリーは昨日今日誕生した商品には決して持ち得ないものであり、ヴィンテージだけが持つ1つの魅力であると言えます。
そして今回お話をしてまいりましたサステナビリティという言葉と、ヴィンテージが最も強く結びつく要素こそが、ヴィンテージの2つ目の魅力となります。
つまり、その素材がヴィンテージになるまで「受け継がれる」に至った魅力。
この「受け継ぐ」という要素こそが、本当のサステナビリティなのではないかと感じています。
受け継ぐという究極のサステナビリティ
モノが受け継がれる時、必ずそのモノに内在されていなければならない重要な要素がある、と私は考えています。
それはとてもシンプルな要素で、そのモノに「魅力がある」かどうかが受け継がれるモノとなるか否かを決めているのではないか、と思うのです。
一例として、巷で大量に販売されているプチプラアクセを挙げたいと思います。
プチプラアクセを身につければ、誰でも気軽にさまざまなテイストを楽しむことができ、さらに大量生産が故に非常に安価で手に入れることができます。
そこで1つ質問させていただきたいのですが、あなたはそのプチプラアクセを5年後も身につけているでしょうか。
10年後、50年後はどうでしょうか。
さらに言えば、あなたのお子さん、お孫さんにも受け継いでいって欲しいと思われるでしょうか。
おそらくほとんどの方が「そんなに長くは身につけないだろう」「受け継いでいくほどではない」と考えられたのではないでしょうか。
これはつまり「このモノには長く身に着けたい、受け継いでもらいたいと思えるだけの”価値”がない」と、あなたが無意識に感じ取られた結果なのではないかと思います。
これに対しヴィンテージは、長い年月を超えてその時代の各所有者がそれぞれ価値を感じ、ゴミとして放り投げられることもなく「受け継がれ続けてきた」からこそ、
現代の我々がそれを手に入れたり、身に着けたりすることが可能となります。
その魅力は様々であり、
背景、ストーリーに深みがある
デザインが魅力的である
思い入れ、思い出が深い
経年変化による独特な雰囲気がある
残存数が少ない(希少性が高い)
現代ではあまり使用されない素材、原料で作られている
など、人によってどの部分に魅力を感じるかはそれぞれ異なるとは思われますが、このように一口に「ヴィンテージ」といってもそこに内在されている魅力は一言では決して言い表せないものです。
仮に、あなたが100年前のヴィンテージリングを手に入れることができたとします。
そのリングが制作され、あなたのもとに手渡されるまでには、一体何人の人の間を渡り歩いてきたことでしょう。
とても不思議なことに、その人たちの誰もが共通して「このリングには価値がある」と信じ、捨てられることも忘れられることもなく、
今日に至るまで受け継がれてきたという奇跡が、そのリングとあなたを引き合わせたことにはならないでしょうか。
こういったいわゆる時の篩(ふるい)をくぐり抜けてなお、手元に存在するモノこそがヴィンテージであると私は考えています。
何より、受け継ぐという流れが素晴らしいのは、受け継ぐという行為自体には何ら消費=破壊を生じる要素がないということです。
この点から言っても、ヴィンテージは「生産とは破壊である」の原理の外に存在する、いわば特別なカテゴリにあるものなのではないかと考えています。
歴史の継承者
この記事をご覧いただいている方の中には、いわゆる「ヴィンテージ愛好家」の方もおそらくいらっしゃることと思います。
独自の価値観を持ち、トレンドに右往左往させられることも振り回されることも決してなく、自身の愛すべきヴィンテージを愛でることにこそ、幸せを感じる方。
私はそのような方々をこそ尊敬し、(大変勝手ながら)同志のような不思議な親近感を感じています。
今回サステナビリティという考え方を私なりに咀嚼していくうちに、そんな「ヴィンテージ愛好家」の方々を
「歴史の継承者」と呼称することができるのではないか、と感じるようになりました。
繰り返しになりますが、ヴィンテージがあなたの手元に渡るまで、そのモノは数十年、あるいは数百年という長い間、
捨てられることも忘れ去られることもなく、ある時は家族・友人・知人の間で、ある時は知らない人から知らない人の間で、大事に受け継がれ続けてきました。
それは単に「物質が行き来する」という側面だけではなく、
「ヴィンテージが誕生した歴史」、「ヴィンテージが持つ魅力」までもが、受け継がれていったとは言えないでしょうか。
そして現代においてそれらの歴史と魅力を受け継いだ方々、つまりはヴィンテージ愛好家の皆様をこそ「歴史の継承者」と呼ぶべきあると、私は考えています。
話は変わりますが、ヴィンテージを愛する人の情熱は時に周囲の人には理解し難いほどの激しい熱さとなることも珍しくありません。
例えば私が友人の一人に「このリングにはこんな歴史があって・・・」と語り出した瞬間、
それまでの盛り上がりが嘘であったかのように、友人の興味がサーッと引いていく感覚を覚えたことは1度や2度ではありません。(おそらく皆様も・・・いえ、失礼致しました。)
このように、「ヴィンテージを愛する」という行為は誰しもが容易に成し得ることではありません。
であるからして、ヴィンテージが持つ要素の一つである「受け継ぐ」という行為が、サステナビリティを語る上でのメインストリームとして採用されることはおそらくあり得ないでしょう。
しかし、その魅力や有用性に気づいている方は少なからず、そして確実に存在しています。
だからこそ私は、そんなヴィンテージ愛好家=歴史の継承者であるみなさまとのつながりを心から大切にし、
できることならばその輪を少しでも広げていければと心から願っています。
歴史の案内人
さて、ここでふと我が身を振り返ってみます。
私は彫金職人でも、サインペインターでも、デザイナーでもないただの一人の田舎者です。
しかし歴史の影に埋もれかけている美しいヴィンテージやその歴史・背景にスポットライトを当て、その素晴らしさを皆様にご紹介する歴史の案内人でありたいと心から願っています。
であるならば、数少ない歴史の継承者である皆様に、これからも歴史の案内人として、受け継がれるべき素晴らしいヴィンテージやその歴史・背景について(拙い言葉でも)お伝えしてくことができれば、
さらに言えば、私が今後ライフワークとしていきたいと心から願う、「ヴィンテージ素材を組み合わせることで全く新たなアイテムを作り出す」ことができれば、
それは世界全体の0.00001%以下のごくわずかな活動であったとしても、私の生涯にとってはとても大きな割合を占める、
心から楽しめる事柄であり、そして人の役に立てることなのではないか、との考えに至りました。
歴史の継承者へ
どのようにしてこのような帰結を迎えるに至ったかは我ながら不明ですが、、
サステナビリティを入り口として執筆を始めたことで、この記事が改めて当ブランドと皆様との関係性について考えるきっかけとなりました。
2016年に立ち上げた本ブランドが皆様を、そしてブランド自身をどのように捉え、定義し、これからどのように活動していくのかについて、
改めて一つのページとしてアップすることと致しました。
すでにかなりの長文とはなっておりますが、、ぜひお時間の許す方におかれましてはご一読いただけますと幸いです。
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