top of page

ホーボーとホーボーサインの知られざる歴史と新作のご紹介

更新日:2022年5月24日

何の役にも立たないと思っていた情報が、それを忘れ去ってしまうほどの年月の後にひょっこりと顔を出し、あろうことか新しいアイデアにつながることがあります。


私にとってその一つが、ホーボーとホーボーサイン、そしてホーボーニッケルという繋がりでした。


とはいえ、当ブログをご覧いただいている皆様の中には、「ホーボーって何?」という方も確実にいらっしゃることと思います。


今回は、(またも)ヴィンテージアクセサリーの歴史から少し離れ、しかし非常に興味深い歴史について、お話をさせていただければと思います。


※後半では、ホーボーの歴史を基にカントリージェントルマンが制作した、ホーボーサインサンダーバードネックレスのご紹介もございます。




ぜひ最後まで(気長に)ご覧いただければ幸いです。

 

ホーボーとは?


ホーボー(Hobo)とは、一言で言えば「仕事を求めて放浪する労働者」のことを指します。(トランプと呼ばれることもあるようです。)


彼らの主な移動手段は鉄道であり、いつ頃から彼らのような労働者が生まれたのかは明確にはわかっていませんが、「鉄道に乗って仕事を求めて放浪する人々」をホーボーと呼ぶとするならば、


ホーボーの歴史はアメリカ鉄道の発展と南北戦争終結があった1860年代まで遡れることになるかと思います。


(もちろんホーボーと呼ばれる前から、彼らのように放浪をしながら仕事をしていた人々は存在していたため、厳密にはさらに遡ることは可能かもしれません)


また、この「ホーボー」という名前はなかなか耳慣れないものですがその起源には諸説あり、

意外なことに日本の言葉が始まりだとする説もあります。


以下それらの一部をご紹介します。


・日本語の「方々(ほうぼう)に行く」という言葉が起源だとする説。

・「鍬(くわ)」を意味するhoe、「少年」を意味するboyを合わせた言葉「hoe boy(=農夫)」という言葉が起源だとする説。


ちなみに私は後者の説を知った後で実際のホーボーの写真を見つけたのですが、いかにもそれと連想させるような姿が映し出されていました。

鉄道の上を歩くホーボー達

手前のホーボーが肩に「鍬を担いでいる」ように見えないでしょうか。


これは「ビンドルスティック」と呼ばれるもので、棒に「ビンドル」と呼ばれる荷物入れの布を括り付けたものです。


常に放浪をしていた彼らは多くの荷物を持つことはなく、多くのホーボーはこのような簡素なバッグを旅の友として移動をしていました。


もしかすると彼らがビンドルスティックを担いで歩いている姿を見た人々が、「鍬を持って歩いている人」と勘違いし、それが「農夫」→「鍬」「少年」→hoe boy→hobo(ホーボー)へと変遷していったのではないか。


そんなふうに考えることもできるのではないでしょうか。

(あくまで私個人の推察ではありますが)

 

ホーボーの歴史

アメリカ南北戦争

アメリカにおける1860年代の大きな出来事といえば南北戦争(1861年-1865年)が挙げられますが、この戦争終結後には多く退役軍人がホーボーとなり、


徐々に発展しつつあった鉄道を移動手段として、各地へ仕事を求めてさすらうことになりました。


また少し時計をすすめると、1929年頃に起こった世界恐慌により、さらに多くの失業者たちがホーボーとして生きる道を選ぶことになりました。

世界恐慌時の人々

Chinmaya S Padmanabha, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons


一説によれば世界恐慌のピークの頃には、アメリカの失業率は25%、失業者数は1,200万人を超えたとも言われるほど、非常に多くの人々が職を失いました。


定住する家もなく、安定して賃金が得られるような仕事もない彼らは、その日その日を生きるために各地を放浪し、日雇いの仕事などをして暮らしていました。

(もちろんそれら失業者が全てホーボーになったわけではありません。)


鉄道に飛び乗ってアメリカ各地を放浪する彼らに対して、現代では「アメリカンスピリットを体現したような自由な生き方である」と評価する向きすらありますが、


当時の彼らにはとても危険な環境が待ち受けていました。

 

ホーボーが遭遇する危険


それでは、彼らホーボーが遭遇する危険とは一体どんなものだったのでしょうか。ここではいくつかの例を列挙させていただくこととします。

  • 社会的な弱者とみなされ、街の心無い人から暴力を振るわれることがあった。

  • 走っている鉄道に飛び乗る際に事故に遭って手足を失ったり、最悪の場合命を落とすこともあった。

  • 鉄道会社の警備員に見つかると攻撃される恐れがあった。

  • 飛び乗った車両がそのまま冷凍庫に入ってしまい、中から出られない場合凍死の可能性すらあった。

  • 安全な水や適切な医療を得られる機会が少なく、体調を崩し命を失うこともあった。

このように非常に過酷な環境の中で生きていたホーボー達が、同じ境遇の人々に対して「なんとか助け合いながら生き抜いていこう」という一種の仲間意識のようなものを持っていたとしても、


なんら不思議なことではないと思います。

 

情報の伝達手段:ホーボーサイン


私もホーボーという存在については以前から認識はしていたものの、ホーボーサインというものについて知ったのはごく最近のことでした。


このホーボーサインというものを一言で表すと、「ホーボー達だけが知っている秘密の暗号」のことを指します。(ホーボーコードと呼ばれることもあるようです。)


例えばホーボーAが訪れた街の中で、「キャンプに最適な場所がある」ことを知ったとします。


そこで彼は他のホーボーにもその情報を伝え安全に過ごしてほしいと思い立ち、キャンプの看板の裏あたりにこのようなサインを書きました。


ホーボーコード

(ちなみにサインは石炭やチョークなどで描かれることが多かったとされています)


これで何が伝わるの?と思われるかもしれませんが、実はこのサイン自体が


You can camp here(あなたはここでキャンプができます)」という文章を表しており、


このサインを見たホーボーBは「ここは安全な場所だ」と知ることができ、それによって危険を避けることができました。


このようなホーボーサインは非常に多くの種類があり、食べ物から医療、寝るところから進む道についてまで、一つのサインによって様々な情報を伝えることができました。


ちなみにこちらは、アメリカはメリーランド州アナポリスにある、アメリカ国立暗号博物館で撮影された、ホーボーサインを解説したものです(この他にも様々なホーボーサインが存在しています)。

ホーボーサインの一覧表

Ryan Somma, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons


例えば中央最下部のギザギザしたサインだけで、「この近くに吠える犬がいるぞ」という情報を伝えることができ、それを見たホーボーは危険を避けることができました。


(蛇足となりますが、この博物館では第二次世界大戦にドイツで開発されたエニグマなども収蔵されており、いつか一度は訪れてみたい特異な場所の一つです。)


実はこのホーボーサインが本当に彼らの間で使用されていたかについては、いまだに議論が続いているようですが、私はこの素敵な情報伝達手段が本当に存在していてほしいと心から願っています。


ちなみにこのホーボーサインについて紹介している動画を発見しましたので、参考までに以下に掲載させて頂きます。

(この動画をアップしているのは、世界の終末後に生き残るために準備を続ける”プレッパーズ”という人たちで。。。といったお話を始めると、大幅に脱線してしまう恐れがあるため、今回はここまでとさせて頂きます。)

 

ホーボーニッケルとは

ヴィンテージのホーボーニッケル

ホーボーニッケルとは、一言で言えば「コインを彫刻することで作られた一種の芸術品」と言えるかと思います。


ホーボー達は長い鉄道旅の中で、多くの時間を持て余していました。その中で彼らが娯楽(あるいは内職)として作り上げていたものの一つが、


このホーボーニッケルであったと言われています。


コインとは具体的には「バッファローニッケル(あるいはインディアンヘッドニッケル)」という、1913年から1938年まで米国造幣局によって製造されたコインでした。


このコインがホーボーニッケルとして採用されたのには、いくつか理由がありました。

  • インディアンの頭のサイズが、それまでのコインの人物の頭よりも大きく彫刻しやすかったため。

  • 貨幣の価値が5セントと、比較的誰でも手に入れやすかったこと。

  • 素材が75%の銅と25%のニッケルで作られており、彫刻向きの柔らかい素材であったこと。

ホーボー達は身の回りにあった道具を駆使しながら、せっせとコインに彫刻を施していきました。


そしてそれらは刑務所の警備員や、フリーマーケットなどで売られていき、場合によっては5セントのコインが1ドルになることもあったことから、


彫刻の腕に自信があるホーボー達はここからも日銭を稼いでいたとされています。


モチーフとして多かったのは、「当時の大統領」「スカル(頭蓋骨)」「ピエロ」「自画像」などであり、何人かの職人(芸術家)も存在していました。


※私はホーボーニッケルについてはまだまだ知識が浅いため、詳しくお知りになられたい方は他の先達の方々のご説明もぜひご参考になさっていただければ幸いです。


著名な職人の一人として挙げられるのがGeorge Washington "Bo" Hughes(通称:ボー)という人物でした。彼はその人生の多く(1915年頃〜1980年頃まで)をホーボーとして過ごす中で、


その類まれなる彫刻技術で名を馳せた伝説的なホーボーニッケルの製作者でした。


1957年頃には制作中にノミを滑らせ手を怪我してしまい、それまでのような高品質なホーボーニッケルを生み出すことは無くなってしまいましたが、


彼の作品には現在でも多くの熱狂的ファンが存在しています。


ちなみにその彼にホーボーニッケルの製作技術を授けたのは、彼の師匠とも呼べるBertram “Bert” Wiegand(通称:バート)であるとされていますが、


なんとそのバートが製作したホーボーニッケルが、2021年1月のオークションで31,800ドル(およそ380万円弱)もの高値で落札されるなど、現代においては非常に高い価値を持っています。


※蛇足とはなりますが、このように「コインに彫刻を施す」という文化はホーボーニッケルが始まりではなく、1800年代にはすでにラブトークンと呼ばれるものが存在していました。詳しくは別記事:ラブトークンの知られざる歴史をご覧ください。

 

ホーボー達の歴史をリスペクトした作品”Hobo Sign Thunder Bird Necklace”


そんなホーボー達の歴史に対してリスペクトを表すべく、今回カントリージェントルマンが制作した作品が、こちらの”Hobo Sign Thunder Bird Necklace(ホーボーサインサンダーバードネックレス)”です。


今回のコンセプトは、「アメリカ各地を旅していたホーボーが、ネイティブアメリカンと出会い、彫金技術を学んだとしたら」という、


タイムパラドックスシリーズの新作となります。


これまでに誰も見たことのないような特異な、それでいて独特の魅力を持ったアクセサリーを作ることができたのではないかと思っております。


もちろん素材はヴィンテージを採用しており、1900年代初期に発表されたヴィンテージスプーン(スターリングシルバー:純度92.5%の銀)と、ヴィンテージバターナイフを加工して一つ一つハンドクラフトで制作しております。


中央にはカントリージェントルマンの刻印と、さらにその中央には”Gentleman(紳士)”を指すホーボーサインが

刻み込んであります。


両肩には”No use going this way(こっちへ行っても意味がない)”、つまり「脇目を振らずにまっすぐ進める力強さ」の意味を込めて、両側へこのホーボーサインを刻み込みました。


肩の下には”Allright(問題なし)”を示す×のサイン、その下の二本線はホーボーの自由奔放さを代弁するかのような”Anything goes(何でもあり)”の意味を持つサインをそれぞれ配置。


コを90度右回転させたようなサインは”You can camp here(キャンプにいい場所)”、転じて「安全な場所」の意味を持つサイン。


首元の十字架は”Religious talk gets free meal(宗教の話を聞くとタダ飯にありつける)”の意味を持つホーボーサインが刻まれ、これは転じて「人の話を聞くものには幸運がもたらされる」という意味で配置しております。


中央下部にはそれぞれ”Keep quiet(静かにしろ)”→「沈黙は金なり」、"Alcohol in this town(酒が飲める街)"→「遊び心を忘れずに」、”This is the place(この場所だ!)”→「最高の場所を目指して」という意味で配置しております。


特に当ブランド、カントリージェントルマンと関係の深い"Gentleman"を示すホーボーサインがあることを発見した時には、嬉しくなり一人でワクワクしておりました。


おそらくこのような文化、そして作品をご理解いただける方はそう多くはないとは分かっておりますが、


もし貴方がそのお一人であるならば、さらに言えばこのストーリーを愛してくださる方の首元にこの作品が飾り付けられる日が来るならば、これほど嬉しいことはございません。


ぜひ、お試しをいただけますと幸いです。


Country Gentleman



bottom of page