top of page

伝説のスピークイージー”The 21 Club”の偉大な歴史とヴィンテージトークン

更新日:2021年12月10日

私がとても心惹かれる、愛すべき文化の一つが「スピークイージー」と呼ばれるものです。


スピークイージーとは、、簡単に言えば「禁酒法時代に生まれたもぐり酒場」のことを指します。(詳しくは別記事:知られざるスピークイージーの歴史とはでもご紹介しております)

禁酒法を報じるニューヨークタイムズ

(1919年1月17日のニューヨークタイムス。38州が禁酒法を批准したことが報じられている。)


この文化は今でも世界各地で受け継がれており、私がハネムーンで訪れたハワイにもこのスピークイージーがありました。(詳しくはSky WaikikiのThe Back Barでお調べください。予約必須です。)


※アメリカにはこの他にも、未だ数多くのスピークイージーが存在しています。別サイトですが、現代のスピークイージーがまとめられた優れた記事がありましたので掲載させていただきます。興味のある方はご覧下さい。(https://www.timeout.com/newyork/bars/the-best-speakeasies-in-nyc


最盛期には3万件を超えて存在したとされるスピークイージーの頂点に立ったと言えるのが、ご存知伝説のスピークイージー、”The 21 Club”です。


今から約99年前の1922年、ニューヨークで誕生したこの伝説的なスピークイージーと、その歴史にまつわる特別なヴィンテージトークンのご紹介をさせていただきます。

the21clubのヴィンテージトークン

スピークイージー ヴィンテージトークン<The 21 Club>

 

The 21 Clubとは

伝説のスピークイージーthe 21club

David Shankbone, CC BY 2.5, via Wikimedia Commons


伝説的なスピークイージーとなったThe 21 Clubが誕生したのは、1922年のこと(正式にはまだこの頃は21とは名乗ってはいませんでしたが)。


従兄弟同士であったJack KriendlerとCharlie Bernsによって、禁酒法が施行されてから約3年後にオープンされました。


このクラブは、さまざまな理由から名前や場所を転々としているところも非常に興味深いところです。


・1922年の開業当初は、Red Headという名前の喫茶店として、グリニッチビレッジ(ロウアーマンハッタンの西側の地区)に存在していた。この頃はティーカップにアルコールを入れて提供したとも言われる。


・1925年、場所をワシントンプレイスに変え、名前もFrontón(フロントン)へと変更した。


・1926年、場所を42 West 49th Streetへ変え、名前もPuncheon Club(パンチョンクラブ)へと変更した。

※FrontonからPuncheon Clubへはわずか1年での移転となるが、理由の一つがこのPuncheon Clubの真下で新しい地下鉄の工事が騒々しく行われたためと言われている。


・1929年の終わり頃、ロックフェラーセンターの建設に伴い21West 52nd Streetへと移転し、名前をJack and Charlie's 21(ジャックアンドチャーリーズ21)へと変更したのち1930年1月1日にオープンし現在へ至る。


参考:https://en.wikipedia.org/wiki/21_Club

参照:Gotham Rising: New York in the 1930s(Jules Stewart


このような数々の移転・店名変更を行いながらも、禁酒法時代の厳しい取り締まりの中オーナー独自のルート(主にカナダやヨーロッパ)で仕入れた上質なお酒や料理が多くの著名人から人気を集めることとなり