私がとても心惹かれる、愛すべき文化の一つが「スピークイージー」と呼ばれるものです。
スピークイージーとは、、簡単に言えば「禁酒法時代に生まれたもぐり酒場」のことを指します。(詳しくは別記事:知られざるスピークイージーの歴史とはでもご紹介しております)
(1919年1月17日のニューヨークタイムス。38州が禁酒法を批准したことが報じられている。)
この文化は今でも世界各地で受け継がれており、私がハネムーンで訪れたハワイにもこのスピークイージーがありました。(詳しくはSky WaikikiのThe Back Barでお調べください。予約必須です。)
※アメリカにはこの他にも、未だ数多くのスピークイージーが存在しています。別サイトですが、現代のスピークイージーがまとめられた優れた記事がありましたので掲載させていただきます。興味のある方はご覧下さい。(https://www.timeout.com/newyork/bars/the-best-speakeasies-in-nyc)
最盛期には3万件を超えて存在したとされるスピークイージーの頂点に立ったと言えるのが、ご存知伝説のスピークイージー、”The 21 Club”です。
今から約99年前の1922年、ニューヨークで誕生したこの伝説的なスピークイージーと、その歴史にまつわる特別なヴィンテージトークンのご紹介をさせていただきます。
The 21 Clubとは
David Shankbone, CC BY 2.5, via Wikimedia Commons
伝説的なスピークイージーとなったThe 21 Clubが誕生したのは、1922年のこと(正式にはまだこの頃は21とは名乗ってはいませんでしたが)。
従兄弟同士であったJack KriendlerとCharlie Bernsによって、禁酒法が施行されてから約3年後にオープンされました。
このクラブは、さまざまな理由から名前や場所を転々としているところも非常に興味深いところです。
・1922年の開業当初は、Red Headという名前の喫茶店として、グリニッチビレッジ(ロウアーマンハッタンの西側の地区)に存在していた。この頃はティーカップにアルコールを入れて提供したとも言われる。
・1925年、場所をワシントンプレイスに変え、名前もFrontón(フロントン)へと変更した。
・1926年、場所を42 West 49th Streetへ変え、名前もPuncheon Club(パンチョンクラブ)へと変更した。
※FrontonからPuncheon Clubへはわずか1年での移転となるが、理由の一つがこのPuncheon Clubの真下で新しい地下鉄の工事が騒々しく行われたためと言われている。
・1929年の終わり頃、ロックフェラーセンターの建設に伴い21West 52nd Streetへと移転し、名前をJack and Charlie's 21(ジャックアンドチャーリーズ21)へと変更したのち1930年1月1日にオープンし現在へ至る。
参照:Gotham Rising: New York in the 1930s(Jules Stewart)
このような数々の移転・店名変更を行いながらも、禁酒法時代の厳しい取り締まりの中オーナー独自のルート(主にカナダやヨーロッパ)で仕入れた上質なお酒や料理が多くの著名人から人気を集めることとなり、
彼らがPuncheon Clubをオープンする頃には、名の知られた特別なスピークイージーとして認知されていたとも言われています。
ちなみに確たる証拠はないものの、ニューヨークで初めてのグルメバーガー(高級なハンバーガー)を生み出したとも、トマトベースのカクテル「ブラッディメアリー」を生み出したとも言われており、
ニューヨークを代表する質の高い食事とお酒を提供するお店としても知られています。
徹底したセキュリティ
この21Clubを語る上で欠かせないのが、禁酒法の厳しい取り締まりとの戦い、そして徹底した(特殊な)セキュリティにあります。
オーナーであったJack KriendlerとCharlie Bernsは、取り締まりがこのクラブに及ばないよう、そして自らに危害が及ばないよう徹底したセキュリティを導入し、結果として幾度も取り締まりを受けながらも、彼らが逮捕されることは一度としてありませんでした。
(1921年、禁酒法の下で捜査員たちが発見した酒樽の酒を廃棄している様子)
そのセキュリティとは以下の通りです。
・お酒の棚に仕掛けを施し、突然の取り締まりが入ったとしてもレバーを引けば棚が傾き、酒を下水道に捨てることができた。
・著名人のプライベートワインセラーは壁の向こうにあり、細い肉串を穴に差し込むことで隠しドアが開く仕組みを採用していた。※ぜひ以下動画の4:15から、この素晴らしいセキュリティの仕組みをご覧下さい。
・その他にも回転するバー、隠し扉など様々な仕掛けが施されていた。
最も手の込んだ仕掛けとしては、地下から隣の建物の地下に穴を掘ってそこにお酒を隠しておき、取り締まりが入っても「当クラブの敷地内にお酒はありません(事実お酒があるのは隣の敷地の地下)」ということができるという、斬新なアイデアが挙げられるでしょう。
いずれにせよこれらの特殊な仕掛けによって、誰一人としてこのクラブを取り締まることはできませんでした。
多くの著名人から愛された伝説のクラブ
これだけの歴史と特別なストーリー、質の高い食事とお酒が楽しめるお店とあって、古くから多くの著名人に愛され、多くの常連客が連日訪れる人気店となりました。
プライベートワインセラーにワインを所蔵している著名人の名前を挙げるだけでも、各界を代表するようなビッグネームばかりであることに驚かされます。
・フランクシナトラ
Metronome magazine, Public domain, via Wikimedia Commons
(20世紀を代表するシンガーの1人であり、その卓越した歌唱力からThe Voiceのニックネームで知られています。ちなみに私がニューヨークを訪れた際、街を歩きながらいつもかけていた曲は彼が歌う「Theme from New York, New York」でした。
圧倒的な人気と影響力を誇りながらも、イタリア系マフィアとの黒い噂も度々取り沙汰されるなど、いかにもスピークイージーが似合いそうな著名人でした。)
・エリザベステイラー
・サミーデイヴィスジュニア
・Fスコットフィッツジェラルド
(20世紀のアメリカ文学を代表する小説家の1人であり、日本でも「華麗なるギャッツビー(The Great Gatsby)」の作者として広く知られる人物)
・リチャードニクソン
・ジュディガーランド
・ジーンケリー
(私が敬愛するエンターテイナーの1人です。ベタですが「雨に唄えば」は名作中の名作です。圧倒的なタップダンスの名手であり、そのスタイルは洗練されていながらもダイナミックです。ぜひ一度彼のダンスをご覧下さい。
おすすめは「雨に唄えば」のボーカルトレーニングのシーンで見せる、凄まじい難易度のタップダンスです。※以下動画の1:00から始まります)
さらに、このクラブの特筆すべきインテリアの一つが、天井に隙間なく吊るされた著名人たちからの贈り物でした。
※以下動画にも登場しますが、天井にファン垂涎の貴重品がいくつもディスプレイされています。
具体的にはこのような著名人からの贈り物が、数え切れないほど吊るされています。
・クリントン大統領のエアフォースワンの模型
・ジャックニクラス(ゴルフの帝王)のゴルフクラブ
・ジョンマッケンローのテニスラケット
2009年に夕食時のネクタイ着用義務を撤廃するまで、厳格なドレスコードが敷かれていたほどの一流の人々が集まるクラブでありながら、一見するとガラクタのようにも見えるこれらの贈り物が吊るされている様には違和感を感じますが、
この奇妙な天井のディスプレイに関しても、これまた味わい深いストーリーがあります。
当時多くの常連客を抱えていた21Clubの中に、インペリアル・エアウェイズ(現在のブリティッシュ・エアウェイズ)の責任者がいました。
(こちらは1936年当時のインペリアル・エアウェイズの広告です。)
彼は自分がよく座る席の上に、自社の航空機の模型を吊して飾ってくれるよう頼み、最初の贈り物としてプレゼントしました。
その後多くの航空会社の要職にある人たちは負けじと自社の航空機の模型を飾ってもらうように頼み、そこから「著名人からの贈り物を天井に吊る」という一つの伝統が生まれたとされています。
(その航空会社の中には、「地球上の富の半分を持つ男」の異名を持つ大富豪ハワード・ヒューズが買収した、当時大手の航空会社TWAも含まれていたとされます。)
その他にも、なんとフランクリン・ルーズベルト大統領以来、ジョージW.ブッシュを除いてほとんど全ての大統領が、このクラブで食事を楽しんだというような、驚くべきストーリーもあり、
このThe 21 Clubが現在までどれほどの影響力を持っていたかがわかります。
”伝説”が甦る日
ご覧いただいてきた通り、名実ともにニューヨークを代表するクラブとなった"The 21 Club"ですが、一つの世界的な出来事により、閉店を余儀なくされることとなります。
それがCovid-19、つまりはコロナ禍の影響でした。
2020年12月9日にはレストランが閉店され、2021年3月9日にすべての従業員が解雇、3月16日に閉鎖されることとなりました。
現在The 21 Clubの所有者はLVMH( モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)であり、再開の意思はあるようですが具体的な時期や形態については明言されていない状況にあります。
663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
今から約99年前からニューヨークを見守り続け、多くの著名人たちに愛されたスピークイージーThe 21 Clubは、多くの人々から再会の時を心待ちにされています。
遊び心のあるスピナートークン
あまりに長い歴史を持つこのThe 21Clubに関しては、その他にも「入り口に置かれた騎手の人形の歴史」や、「常連のみに配られた特別なスカーフ」などまだまだ沢山お話ししたいことがあるのですが、
それはまた別の機会に譲るとします。
今回ここでご紹介したいのは、この”The 21Club”を肌で感じることができる、特別なコイン(トークン)です。
The 21Clubを代表するモチーフともなっている、入り口に設置された鉄製の柵は1926年にPuncheon Clubとしてオープンした際に作られたものとされ、1930年に移転された際にも一緒に移設されたものですが、
こちらのトークンの表面にはその歴史的な鉄柵がデザインされています。そしてその下部には”West fifty Second street”という住所が記載されており、
これはつまりは1930年の移転後に作られたであろうことがわかります。(その証拠に、トークンの周りにはJack and Charlie's 21という、移転後の名前がデザインされています)
また、中央の突起に謎の突起がありますが、その謎はこのトークンの裏側を見ると理解できる仕組みとなっています。
”Alright You pay”(よろしい、君が支払いたまえ)と書かれた裏面には、中央に窪みが施されています。(何かのお尻のようなデザインですが、この部分に関しては後述します)
つまりこのトークンは、誰が支払いをするのかを決めるためのスピナートークン(コマのように回転させることができるトークン)として作られているのです。
このトークンが作られた背景に関しては何ら記述が残されてはいませんが、おそらくは常連に配るために作られたか、宣伝用に作られた等の理由があったものと考えられます。
The 21Clubがすでに閉鎖されてしまっていることや、再開されたとしてもこれまでのような形態での営業ではなくなる可能性もあり、
このトークンの希少性は今後さらに上昇してくることが予想されます。
そして、スピークイージー自体が「もぐり酒場」であったこともあり、それらにまつわるアイテムはほとんど市場に出回ることもなければ、その出自が不明であるため確実な本物のアイテムを手に入れることは困難を極めます。
今回ご紹介したように非常に味わい深い歴史、そしてこの遊び心のあるデザインが目を惹くこのトークンを、今回少数ですが入手することができました。
当ブランドカントリージェントルマンでは、通常このようなヴィンテージ素材を加工することで新たなアクセサリーを製作しているのですが、
このトークンについては、もはや私などの手を経ることがなくとも、むしろ余計な人の手を通さずそのままの形で、皆様のポケットやお財布に忍ばせていただいた方がその魅力をより発揮できると感じ、
今回はそのままの形でお届けができればと考えております。
現在はコロナ禍にあって、気の合う仲間や友人と共にお酒を楽しむ機会が激減していることと思われますが、いつの日かまた以前のようにお酒を楽しめる日が来ることを、
またこのトークンを取り出し、それにまつわる味わい深い歴史について語れる日が来ることを、その酒宴の最後には、このトークンが勢いよく回り出す日が来ることを心から願っております。
Extra episode:The 21Clubトークンのデザインに関する調査結果
Now Writing...
Comments