紳士とは一体何か。

最終更新: 2020年6月30日

私がCountry Gentlemanとしてブランドを立ち上げてから、もうすぐ4年が経とうとしています。


このCountry Gentlemanというブランド名は、紳士の中の紳士、カントリージェントルマンとしての生き方の美しさと爽やかさに心を打たれ、自ら決めたものです。


今回は、改めて紳士とは一体何なのか、そして我々はそこから何を学びとることができるのかを、この機会にもう一度問い直してみたいと思います。


※約9千文字近い長文となりますので、どうか気楽なお気持ちでさらりとご覧いただければ幸いです。

紳士の始まり

ジェントルマンの起源、ジェントリ

そもそも紳士(Gentleman)の語源は、中世イギリスの最下層の領主身分の総称であったジェントリ(Gentryからきている、というのが有力な説とされています。


具体的に言えば1400年頃までそのジェントリという呼び方は余り認知されておらず、1413年以降から徐々に使われ始めました。その後1431年ごろに印刷された地主のリストの中に”ジェントリ”と呼ばれる区分が追加されていることから、


ジェントリは15世紀ごろからしっかりと階級の一部として認識されてきたのではないかと思われます。


ジェントリは元々自らが土地を治めていた人たちであり、14−15世期には有力貴族の家臣として仕えることが多かったそうです。


その後1455年になると、赤い薔薇(ランカスター家)と白い薔薇(ヨーク家)の権力闘争である”薔薇戦争”が始まってしまいます。


その名前の優雅さとは正反対に、この血腥い戦争は30年も続き、多くの有力貴族がここで途絶えてしまうことになりました。

30年にも及ぶ薔薇戦争

結果的に赤い薔薇のバッジを付けて戦っていた、ランカスター派のヘンリー・テューダーがヨーク家を武力で制圧し、テューダー朝を築くことになります。


戦争により有力貴族の多くが絶えてしまったため、その隙間を埋める形でジェントリの人々はテューダー朝で重用されることとなります。


そのほかにも、イギリスとフランスの、実に116年にも及ぶ戦争(百年戦争:1337年-1453年)や、14世期半ばに全世界の約22%(1億人)がなくなったとされる黒死病など、


非常に大きな時代のうねりの中でも、自らが治める土地を守り続けたジェントリ達はさらに力と認知度を増し、彼らは貴族とともに「地主貴族層」として扱われるようになりました。


その後も彼らの社会的影響力は20世紀の初頭に至るまで保持され続けるわけですが、彼らがそこまで権力を保持し続けられた理由とは、一体何なのでしょうか。

ジェントリの振る舞いこそ紳士の源流


ジェントリ達には、自らが治める広大な土地がありました。


彼らはそこで傲慢な振る舞いをすることもできましたが、多くの場合そうはしませんでした。(例外はあったようですが)


彼らはその土地や暮らす者達から収奪ばかりをしようとするのではなく、むしろその地域社会に対しては治安を守ったり、戦争が起これば「いざ鎌倉」とばかりに率先して参戦したり、慈善事業にも精を出したりしていたそうです。


詳しくは後述しますが、この気高き精神は"noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)"と呼ばれ、つまり「高貴なものが果たすべき責務」として、彼らはこの精神を大事に育んでいきました。


このような品位のある振る舞いや行いが、民衆からの信頼と尊敬を集めたために彼らはその権力を維持し続けてこられたのではないか、と私は考えています。


そしていつしか、そんな「ジェントリのように振る舞う人」を表す言葉として、「ジェントルマン(Gentleman)」なる言葉が誕生したのではないかと思うのです。

カントリージェントルマンとは

カントリージェントルマンの領地

ここまで、ジェントルマンという言葉の成り立ちや歴史についてお話しさせていただきましたが、皆さんは「カントリージェントルマン(Country Gentleman)」という言葉も存在することを、ご存知でしょうか。


カントリージェントルマンをそのまま直訳すれば、「田舎の紳士」となるかと思います。しかし特にイギリスでは、カントリージェントルマンは尊敬に値する存在として、また本物の紳士として今も認識されています。


日本を代表する紳士の一人に白洲次郎という人物がいますが、彼が話していた言葉の中に、『イギリスの社交界でいうと、あの人はカントリー・ジェントルマンだっていうのが本当のジェントルマンだな』というものがあります。

(参考:文藝別冊 [総特集]白洲次郎 生後100年より)

これは、そもそも「ジェントルマン」という言葉自体が、広い土地(つまりは田舎)を守り育んでいたジェントリに起源を持つことから、「カントリー(田舎)」を守る「ジェントルマン(紳士)」こそが本物の紳士である。という認識がイギリス人の中であるのではないかと思われます。

さらにこんなお話もあります。


去る2020年4月3日、惜しまれつつこの世を去った偉大な作家、ウェールズ出身のCWニコルさんはこのようなエピソードを紹介してくれています。

「日本のパスポートを持ってイギリスを旅行している際、あるホテルのスタッフは私に「東京にお住まいですか」と聞いてきた。私が「いいえ、日本アルプスの長野に住んでいます」と答えると彼らの態度は変わり、多くの場合彼らは私の部屋をアップグレードしてくれさえしました。」と。

我々日本人からすると、田舎に住んでいることがなぜそこまで尊敬されるのか、不思議に思うところではありますが、背景にはジェントリが築き上げてきた”田舎へ住む紳士”への尊敬の土壌のようなものが、あるのであろうと思います。


その名の通り田舎(カントリー)に領地や城、土地を持っていて、その場所を守りながらも都市の動向に目を光らせ、そしていざ何か事が起これば、真っ先に都市へ出かけていって彼らの襟を正す。


カントリージェントルマンとしての生き方は、そんなものであるとされています。


しかし、ここである疑問が生まれます。


なぜ既に「ジェントルマン」という言葉があるにもかかわらず、それと区別するかのように「カントリージェントルマン」なる言葉が生まれたのか。


それに対する答えを探すことが、ジェントルマンを理解する上でヒントになりそうな気がします。

現代のジェントルマン


さて、ここでいったん話を現代に戻します。現代では、ジェントルマンはどのように認識されているのでしょうか。

現代における紳士

少し調べてみると、”現代におけるジェントルマン”とは「常にレディーファースト」で「決して怒らない」。そして「とにかく優しい」「悪口は言わない」「オシャレ」などといった要素を持っているものと、認識されているようです。


つまり、ジェントルマンは女性に”モテる”ものであり、多くの場合女性からの憧れの対象として認識されているようです。


確かにジェントルマンがそういった基本的な素養を持っているであろうことは理解できますし、それが彼らに気品や上品さをもたらしているであろうことも分かります。


しかしあえて厳しい言い方をすれば、私はジェントルマンとはそんな浅薄なものではないと信じています。


言ってみれば「レディーファースト」や「優しい」などの要素は、ジェントルマンという概念の上澄みのようなものであり、決してその本質に近づくものではないと考えます。


先ほどお話しした通り、「ジェントルマン」と「カントリージェントルマン」という、紳士を表す言葉が二つ存在しており、その中でも「カントリージェントルマン」こそが本当の紳士であるとされるのには、


時が経つにつれ「ジェントルマン」という言葉が一人歩きし、「レディーファースト」ができる人や「優しい」人が紳士であるという、いわば本来の意味とは違う方向へと進んでいってしまったため、


”本来のジェントルマン”を表す言葉として「カントリージェントルマン」が誕生し、それが本当の意味での尊敬を得たのではないか、と思うのです。

白洲次郎という生き方


私がこの世で一番尊敬している人物が、白洲次郎という方です。

若かりし日の白洲次郎

https://www.buaiso.com/about_buaiso/jiro.html


彼について詳しくは別の記事(カントリージェントルマンとは)でもご紹介していますが、少し彼についてまとめておくと、

白洲次郎は1902年2月17日に、実業家で富裕であった父の次男として生まれ、イギリス最高学府の一つケンブリッジに留学。


流暢な英語と、国際的な広い視野を育み、日本に帰国後は新聞会社などで勤めたのち徐々に日本の政治の世界に顔を出すようになる。


第二次大戦後には時の名宰相、吉田茂の懐刀としてGHQとの折衝を行う終戦連絡中央事務局で参与に就任し、英国仕込みの流暢な英語と、類まれな視野をもとに八面六臂の活躍を見せ、日本立て直しの最大の功労者となる。


GHQの要人をして、「従順ならざる唯一の日本人」とまで言わせしめるほど、日本を占領から解放するために苛烈な戦いを繰り広げた人物である。


権威を笠に着た人間が大嫌いで、目上の者とはことあるごとに壮絶な舌戦を繰り広げる一方、目下の者にはとにかく優しく、常に彼独自の筋(Principle:原理・原則)を通して行動したことで知られる。

そもそも彼は反戦派であり、第二次世界大戦が始まる前にはその先見の明により「東京は焼け野原になる」と予見し、鶴川村(現在の東京都町田市)の古民家を買い取り改築しながら食料の生産に精を出した。 これは彼なりのカントリージェントルマンとしての暮らしの体現であるとも考えられている。


こんなところでしょうか。


また彼は、”日本で初めてジーンズを履いた人物”としても知られており、明石家さんまさんや木村拓哉さんなども彼のファンであることを頻繁に公言するほど、とにかくカッコいい人物であったことも知られています。

ジーンズを履きこなす白洲次郎

https://www.buaiso.com/about_buaiso/jiro.html


彼が生前、ことあるごとに口にしたのが「プリンシプル(Principle)」という言葉でした。これは日本語に訳せば”原理・原則”にあたり、分かりやすく言えば筋を通すことを一番に考えて常に行動していたそうです。


彼がいかにして「紳士」と呼ばれるに至ったかは、北 康利氏の名著”占領を背負った男 白洲次郎”に詳しく書かれており、ぜひ一度お読みいただくことをオススメしますが、


私は彼の生き方から、現代の紳士たるものの生き方について学ぶべきところが多くあるのではないか、と思っています。

紳士の要素その1:プリンシプル


白洲次郎が非常に大切にしていたこと、それがプリンシプル(原理・原則)でした。


彼は後年、こんな話をしています。


「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。」


紳士の国イギリスの最高学府、ケンブリッジでは名家の子弟や優秀な学生たちが多く在籍し、毎年多くの紳士や政治家候補を輩出するわけですが、彼らを紳士たらしめる要素の根底には、

ケンブリッジ大学

自らの発言・行動にはプリンシプルが伴わなければならないということを、骨の髄まで浸透させるような教育があったのではなかろうかと思う話です。


また彼はこんな風な言葉も残しています。


「プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことは無い。プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう」


けだし至言であると感じます。

プリンシプルを現代へ


では現代において、このプリンシプルをどう捉え・活かすべきでしょうか。


プリンシプルとは日本語訳すれば、「原理・原則」を指します。これは「筋を通す」といえばわかりやすいかもしれません。


白洲次郎は「これは私の持論だが、日本人と話をしていて、ことに政治の話をしていてよく感じることは、物事についてプリンシプル(原則とかいうもの)をちっとも考えないということである。ー(中略)ープリンシプルに基づいた言動はいつでも率直であるからだ。」(出典:プリンシプルのない日本)と語っています。

吉田茂と白洲次郎

https://www.buaiso.com/about_buaiso/jiro.html


つまり大事なことは、自分が貫くべきプリンシプルとは何なのかを、「自分の頭で考え抜き、またそれを実行に移すこと」なのだと思います。


彼が言うには日本でも昔の武士階級などは、全ての言動にはプリンシプルがなければならないと徹底的に叩き込まれたそうだとも話していますが、いつの間にか私たち日本人はそのことを忘れてしまったのかもしれません。


しかし、白洲次郎のようにプリンシプルを貫き通した男は日本にも少なからず存在しています。皆さんは杉原千畝なる人物をご存知でしょうか。

プリンシプルの人、杉原千畝


時は1940年へと遡ります。第二次世界大戦の真っ只中のリトアニアで、カウナス領事館に赴任していた外交官、杉原千畝は異様な光景に目を疑います。

本物の紳士、杉原千畝

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D#%E4%B8%8D%E9%81%87%E3%81%AE%E5%BE%8C%E5%8D%8A%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E9%A1%95%E5%BD%B0%E3%81%B8


彼がいた領事公邸の鉄柵の前に、百人ほどの老若男女が大挙して押し寄せていたのでした。


実はこれは、ヒトラー率いるナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害から逃れるために、リトアニアを脱出するためのビザの発行を求めてきた人たちだったのです。


そんな窮状を見かねて、彼は外務省へビザの発行の許可を求めましたが、日独伊三国同盟を間近に控えていた時期ということもあり、外務省は”発給条件厳守”つまり「不必要なビザは発行するな」という回答を繰り返すのみでした。