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メキシカンジュエリーを変えた伝説の男 -タスコの歴史-

更新日:2020年1月11日

当サイトをご覧いただいているあなたは、きっと”普通のファッション情報”では満足できない、いわゆるファッションフリークのお一人なのではないかと勝手ながら推察致します。


そんなあなたであればおそらくご存知かもしれませんが、これまでよりもさらに注目を集めているアクセサリーの新しい流れがあります。それがメキシカンジュエリー(メキシコのシルバーアクセサリー)です。


今回は私も個人的に非常に注目している新しい潮流、メキシカンジュエリーについて、そしてさらにその歴史を変えた、一人の偉大な男の知られざる歴史について、迫っていきたいと思います。

 

メキシカンジュエリーの中心地”TAXCO(タスコ)”

メキシコの首都、メキシコシティから南西に約170kmほどのところに、観光客に人気の街、TAXCO(タスコ)はあります。

メキシコシルバーの中心地 タスコ

https://www.google.com/maps/place/


正式にはTaxco de Alarcón(タスコ・デ・アラルコン)と言いますが、ほとんどの場合、略された名称のタスコと呼ばれています。


この街は白く美しい建物が多くあることから、「白い街」とも呼ばれています。しかしタスコにはもう一つ違う通り名があります。それが通称「銀の街」。


白い街、そして銀の街TAXCO

https://mexicanroutes.com/taxco/


独特なデザイン性と大胆なラインで人気を集めるメキシカンジュエリーですが、なんとタスコには10,000人を超える銀細工職人が在籍していると言われるほど、メキシカンジュエリーの中心としても知られています。


それでは、タスコはどのようにして現在の地位を築いていったのでしょうか。


時は大航海時代の真っ只中、1528年へと遡ります。

大航海時代のメキシコ

実はこのころ、現在の「タスコ」として知られる先住民の集落は、現在の位置には存在していませんでした。


タスコが現在の位置に誕生したのは、世界各地で銀などの貴重品を追い求めていたスペインの征服者、エルナン・コルテスが、この地で銀が取れることに気づいたために作られたものだったのです。


その後1716年にこの地に降り立ったのが、のちの”銀山王”ホセ・デ・ラ・ボルダです。

”銀山王”ホセ・デ・ラ・ボルダ

https://en.wikipedia.org/wiki/Jos%C3%A9_de_la_Borda


彼はタスコ周辺の山々で豊富な銀が採掘できることを発見し、莫大な富を築きます。


その財産を基に、彼はタスコの街に道路や美しい家、そして1759年にはバロック建築の傑作とも評される、大聖堂サンタプリスカを寄進・建造させます。これが現在の美しい街タスコの礎となりました。

 

タスコの凋落


豊富な採掘資源を基に、急成長を遂げた街タスコですが、ここから大きく分けて二度の危機に瀕することにな