
http://www.amusemuseum.com/boro/index.htm
「襤褸(ぼろ)を纏えど心は錦」「ボロボロ」「ぼろ儲け」「ぼろが出る」、など日本には【ぼろ】という言葉を語源とした言葉がいくつも存在しています。
では「襤褸(ぼろ)」とは一体どのようなものを指すのか。
現在ではフランスを中心に、世界的な人気を誇る日本文化の一つとなった「襤褸(ぼろ)」について、その奥深い歴史を紐解いていきたいと思います。
※当ブランド、カントリージェントルマンではこの日本のボロと、アメリカのヴィンテージテキスタイル(フラワーサック・バンダナ)を組み合わせて製作した「ヴィンテージボロネッカチーフ」を発表しました。
※2022年1月19日追記:ヴィンテージボロネッカチーフ×5色の新作を入荷しました。
素材と製法、そして”ヴィンテージ”にこだわり抜いた作品となります。ぜひこの機会にご覧いただければ幸いです。
襤褸(ぼろ・らんる)とは

https://www.heddels.com/2015/08/all-about-boro-story-japanese-patchwork/
襤褸(ぼろ・らんる)の歴史は江戸時代(1603年 – 1868年)以前から始まります。
非常に寒く豪雪でも知られる東北・北陸地方などでは、その寒さに耐える主な防寒具は着物などの衣類だけでした。
しかし当時の衣類は非常に高価なものであったため、新しいものを買う余裕がある農民・漁師などはほとんどいませんでした。
そのため、彼らは同じものを毎日のように着続けました。するとどうしても肘や裾の部分が擦り切れ、破れてきてしまいます。
極寒の中で生活をする上で、穴が空いた衣類を着ていては寒さに耐えきれなくなるため、麻布やボロ切れ、古い布団などをツギハギして縫い合わせていくことで、古くなった服を補強してきていました。
(綿が貴重品とされていたため、布団の中の詰め物としては麻クズや古い仕事着などが詰められることが多かったそうです)
さらに彼らはそれを自分だけでなく、次の世代、またその次の世代へと受け継ぎ、それが現代にまで残っているというわけです。
これが襤褸(ぼろ・らんる)と呼ばれるものの始まりでした。
襤褸(ぼろ)は恥ずかしいもの?

https://www.heddels.com/2015/08/all-about-boro-story-japanese-patchwork/
「ぼろが出る」とは、自分が隠しておきたいこと、見られたくないものが公になってしまうことを指す言葉ですが、
農民たちにとって襤褸を着ていることは、当然ですが嬉しいこと、誇らしいことではありませんでした。衣類を買う十分なお金があればそうしますが、そうできない程にお金がなかったからです。
ぼろに関しては私も東北出身ということもあり、懐かしい思い出があります。
15年ほど前、ダメージジーンズが好きだった私は、ダメージジーンズを履いてひいおばあちゃんの家を訪れました。
するとそれを見たひいおばあちゃんは、「なんだべそだぼろぼろの履いで!ばあちゃん縫ってやっから貸せ!」と一言。
当時は「これが今の流行りなんだよ」と言葉を返すことしかできませんでしたが、昔は「穴が空いていることは恥ずかしい」